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名古屋地方裁判所 昭和34年(行)13号 判決 1975年10月29日

名古屋市中川区笈瀬町二丁目一三番地

原告

鵜飼明

右訴訟代理人弁護士

西岡勇

右訴訟代理人(第五七号事件)

右訴訟復代理人(第一三号事件)

弁護士

野間美喜子

同市同区西古渡町六丁目八番地

被告

中川税務署長 中出英俊

右訴訟代理人弁護士

入谷規一

右指定代理人

服部勝彦

渡辺宗男

市川朋生

鈴木栄

被告

名古屋市中川区長 高見芳郎

右訴訟代理人弁護士

鈴木匡

右訴訟復代理人弁護士

大場民男

清水幸雄

主文

一、被告中川税務署長が、原告の昭和三一年分所得税につき、同三三年一一月二四日付でなし、同四〇年七月一三日付審査裁決により一部取消された所得金額を三一、九二〇、七〇七円とする再更正処分のうち三一、六七五、七〇七円をこえる部分を取消す。

二、原告の被告中川税務署長に対するその余の請求を棄却する。

三、被告名古屋市中川区長に対する訴を却下する。

四、訴訟費用はすべて原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告)

「一、被告中川税務署長が、原告の昭和三〇年分所得税につき、昭和三三年一一月二四日付でなした、所得金額を九二、二八九、〇九四円とする再更正処分のうち、一二、二一八、一四六円をこえる部分および同三一年分所得税につき、昭和四〇年七月一三日付審査裁決により一部取消後の、所得金額を三一、九二〇、七〇七円とする同三三年一一月二四日付再更正処分のうち、五、八四七、八一四円をこえる部分をいずれも取消す。二、被告名古屋市中川区長が、原告に対してなした昭和三一年度市民税更正所得割額六、〇六六、二七一円、県民税更正所得割額二、二二四、二九九円合計八、二九〇、五七〇円とする同三三年七月一八日付賦課処分および同年度市民税追加更正所得割額二、五七九、二一七円、県民税追加更正所得割額九四五、七一三円合計三、五二四、九三〇円とする賦課処分のうち、同三〇年分所得税申告所得額三、五〇〇、〇〇〇円に対する所得割額をこえる部分、同三二年度市民税減額(変更)更正所得割額二、九一九、八二一円、県民税減額(変更)更正所得割額一、一六七、九二九円合計四、〇八七、七五〇円とする賦課処分のうち、三一年分各所得税申告所得額二、五〇〇、〇〇〇円に対する所得割額をこえる部分をいずれも取消す。三、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決。

(被告ら)

被告中川税務署長は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

被告名古屋市中川区長は「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」および本案につき「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二、当事者の主張

(請求原因)

一、原告は肩書住所地である名古屋市中川区笈瀬町二丁目一三番地で古銅、古真鍮の売買を営む者であるが、原告は右営業より生ずる所得につき、従来からの慣例に従って昭和三〇年分三、五〇〇、〇〇〇円、同三一年分二、五〇〇、〇〇〇円として所得金額を申告したところ、同三三年五月二三日被告中川税務署長は同三〇年分所得金額六五、六六〇、四〇〇円、同三一年分所得金額五三、七一一、八〇〇円とする各更正処分をしたので、原告は同三三年六月二一日名古屋国税局長に対し右各更正処分につき審査請求をした。

ところが被告中川税務署長は昭和三三年一一月二四日、同三〇年分所得金額九二、二八九、〇九四円、同三一年分所得金額三二、六九二、四三三円とする再更正処分をなし、名古屋国税局長は昭和四〇年七月一三日前記審査請求に対し、同三一年分所得金額を三一、九二〇、七〇七円とし、右再更正処分の一部取消の裁決をした。

二、しかし、原告の昭和三〇年分事業所得金額は一二、二一八、一四六円、同三一年分事業所得金額は五、八四七、八一四円であり、本件各再更正処分(但し、昭和三一年分は裁決により維持されたもの)は、右各所得金額をこえる範囲で違法であるから、その取消を求める。

三、被告名古屋市中川区長は昭和三三年七月一八日、同年五月二三日付被告中川税務署長の同三〇年分所得金額六五、六六〇、四〇〇円、同三一年分所得金額五三、七一一、八〇〇円とする前記各所得税更正処分における右各認定所得金額に基づき、原告の同三一、三二年分市県民税申告額に対して、左記賦課処分を行い、原告に徴税令書と題する文書を送付した。

1. 昭和三一年度市民税更正所得割額 六、〇六六、二七一円

同 県民税更正所得割額 二、二二四、二九九円

合計 八、二九〇、五七〇円

2. 昭和三二年度市民税更正所得割額 四、九八七、一三六円

同 県民税更正所得割額 一、九九四、八五四円

合計 六、九八一、九九〇円

ところが被告中川税務署長は昭和三三年一一月二四日付同三〇年分所得金額九二、二八九、〇九四円、同三一年分所得金額三二、六九二、四三三円とする前記各再更正処分をなしたので、被告中川区長は右1の各更正所得割額につき左記3の賦課追加更正を、右2の各更正所得割額につき左記4の賦課減額(変更)更正をそれぞれなしたが、これらの更正については前記のような徴収令書は原告に送付しなかった。

3. 昭和三一年度市民税追加更正所得割額 二、五七九、二一七円

同 県民税追加更正所得割額 九四五、七一三円

合計 三、五二四、九三〇円

4. 昭和三二年度市民税減額(変更)更正所得割額 二、九一九、八二一円

同 県民税減額(変更)更正所得割額 一、一六七、九二九円

合計 四、〇八七、七五〇円

四、しかしながら、昭和三三年七月当時施行中の地方税法一条一項六号によれば、「徴税令書とは、納税者が納付すべき地方税について、その賦課の根拠となった法律及び当該地方団体の条例の規定、納税者の住所及び氏名、課税標準額、税率、税額、納期、各納期における納付額、納付の場所並びに納期限までに税金を納付しなかった場合において執られるべき措置及び賦課に違法又は錯誤があった場合における救済の方法を記載した文書であることを要する」旨規定する。ところが被告中川区長の作成送付した前記徴税令書は、賦課の根拠となる法律の規定、名古屋市税条例ならびに愛知県税条例の各規定を明示せず、単に地方税法および名古屋市税条例ならびに愛知県税条例によったものであると記載するのみで、納期限までに税金を納付しなかった場合において執られるべき措置及び賦課に違法又は錯誤があった場合における救済の方法について何らの記載がない。従って、前記徴税令書は徴税令書としての要件を備えず、不適法であり当然無効というべきである。その後被告中川区長は後記のとおり納税催告書または納税告知書を原告方へ送付したが、いずれも右に述べた徴税令書または納税通知書としての要件を記載した文書でないため、被告中川区長の原告に対する徴税権は未だ発生していない。

五、また、地方税法によれば、地方団体の徴収金の徴収を目的とする地方団体の権利は、法定期限より五年間行わないとき時効によって消滅する。そして督促または納税の催告によって右時効の中断の効果を生ずるとしても、本件については昭和三五年四月二五日および同四〇年二月八日に納税催告または納税告知がなされているが、当初の徴税令書が前述のとおり不適法無効であり、かつ右納税催告または告知はあくまで単なる納税の催告または告知にすぎず徴税令書(納税通知書)としては効力を生じない。従って前記三1の八、二九〇、五七〇円なる市県民税更正所得割額および同3の三、五二四、九三〇円なる市県民税追加更正所得割額による被告中川区長の各権利は、被告中川税務署長が発した同三三年一一月二四日付同三〇年分原告事業所得再更正通知書が原告方に到達した同三三年一一月二六日から五か年を経過した同三八年一一月二六日をもって時効により消滅し、同4の四、〇八七、七五〇円なる市県民税減額(変更)更正所得割額による被告中川区長の権利は、被告中川税務署長が発した同三三年五月二三日付同三一年分事業所得更正通知書が原告方に到達した昭和三三年五月二三日から五か年を経過した同三八年五月二三日をもって時効により消滅した。

六、従って、前記三1の昭和三一年度市県民税更正所得割額合計八、二九〇、五七〇円および同3の同追加更正所得割額合計三、五二四、九三〇円とする各賦課処分は、前記一の昭和三〇年分申告所得金額三、五〇〇、〇〇〇円に対する所得割額を、また、前記三2および4の昭和三二年度市県民税減額更正所得割額合計四、〇八七、七五〇円とする賦課処分は、前記一の昭和三一年分申告所得金額二、五〇〇、〇〇〇円に対する所得割額をそれぞれこえる範囲で違法であるから、その取消を求める。

(被告名古屋市中川区長の本案前の主張)

行政事件訴訟法一四条一項によれば、取消訴訟は処分があったことを知った日から三か月以内に提起しなければならないが、原告は昭和三三年七月一八日請求原因三1記載の更正賦課処分を知ったのであるから、右処分に対する本件取消訴訟(同四二年九月二二日本訴提起)は出訴期間経過後のものであるから却下を免れない。

なお、原告は右三12記載の処分につき同三三年七月二八日被告中川区長に対し異議申立をしたが、被告中川区長は同年八月一日異議申立は理由がないとして右申立を棄却したところ、これに対しては審査請求はなかった。

(請求原因に対する被告らの認否)

請求原因一および同三のうち徴収令書不送付の事実を除くその余の事実を認め、同二、四ないし六の各主張は争う。

(被告中川税務署長の主張)

一、被告中川税務署長(以下、単に被告という場合は被告中川税務署長をさす)が原告の前記申告について調査した結果、原告は右確定申告にかかる所得金額の計算の基礎となる諸帳簿を備え付けず、帳簿その他の資料により原告の所得金額を確定することは不可能の状態にあり、他方、原告は取引規模を秘匿し、多額の仮装名義預金を保有している等の不正の事実があった。そこでやむなく被告は本件係争年分である昭和三〇年および同三一年分の所得金額(事業所得金額)の算定については旧所得税法(昭和二二年三月三一日法律二七号)四五条三項規定の推計計算即ち資産負債増減計算の方法により所得金額を計算したものであり、その計算内容は別表一(昭和三〇年分)および同二(同三一年分)のとおりであって、その範囲内でなした被告の本件各再更正処分(但し、昭和三一年分は裁決により維持された部分。)は適法である。

二、原告の事業の実態について

1. 原告は終戦後昭和二一年ころから名古屋市中川区笈瀬町二丁目一三番地において故非鉄金属販売業を営んでいたが、同二四、五年ころから同市同区西古渡町三丁目二〇番地訴外鵜飼勇方に新たな営業所を設け、本件係争年においては、右笈瀬町二丁目一三番地、同市中区岩井通一丁目二五番地訴外勇方、同区元田町三丁目二六番地訴外鵜飼憲一方および大阪市東成区大今里南之町三丁目所在の建物をそれぞれ営業所として個人で前記事業を営んでいた。

2. 原告は右長兄憲一および右次兄勇と共に右事業を経営しているが、右事業を主宰していたのは原告であり、二人の兄はいわば在庫品の管理、電話番程度の仕事を分担し、原告から月々何がしかの生活費を支給されていたに過ぎず、取引の決定、金銭の管理等重要事項はすべて原告が把握し、実質上、事業経営者は原告であった。

3. 本件事業から生ずる所得について、所得税の確定申告はもとより市民税・事業税等の納税もすべて、原告が一人でなしていたことは右のことを示すものである。

4. 原告は、訴外勇が昭和二三年ころから同三一、二年ころまで前記西古渡町三丁目二〇番地に居住して、原告とは別個に鵜飼商店名義で故非鉄金属業を営み、被告主張の変名による商品取引、普通預金はいずれも右鵜飼商店こと訴外勇が行ったものであると主張するが、同訴外人は同二六、七年ころまたは遅くとも本件係争年である同三〇年には右事業をやめていたのであるから、原告の右主張は事実に反する。

三、原告の会計帳簿について

商業帳簿は、商人がその営業および財産状況を明らかならしめるために作成する記録であり、商法三二条に、日々の取引其の他財産に影響を及ぼすべき一切の事項を整然且つ明瞭に記載することを要すると規定していることからみて、原告作成所有の手帳・メモ等は右要件を充足しないから、商業帳簿とはいえず、いわゆる取引に関する原始記録にすぎない。

四、所得金額推計の計算方法について

原告は、被告主張の資産負債増減法(実質的には財産法による所得計算方法)は損益法による所得計算方法に比して所得の種類を区分することが困難であること、生活費を正確に計算することが困難であること等よりして、所得税法上の所得計算方法としては必ず損益法によるべきであると主張する。しかし、

1. 企業の利益計算は、計算目的が如何なるものであるにしろ原則的には企業会計の理論に則って行われるべきである。会計学説によれば、利益計算の方法としては財産計算と成果計算とがあり、前者は、利益を財産の増加として考え、一定の状態の認識即ち一定時における企業の財産と資本とに基づいて算定(利益=資産-負債-資本)するもので貸借対照表方法と呼ばれ、後者は、利益を企業活動の経過としての収益と費用との対応関係による測定方法によって把え、これが損益計算書の本来の作用であると見るもので分析的方法と呼ばれる。かかる二つの方法は併立すべきものであって、いずれか一つの方法による利益計算が可能であることは会計学上認められている。

2. 事業の利益計算において算定される毎期の純利益と租税目的のために算定される課税所得との間に差異の生ずることは免がれず、それは租税政策上所得であっても免税されるものがあり、他方会計上の非所得であっても課税されるものがある等種々の理由があるからで、かかる差異が財産計算によってのみ生じ損益計算にあっては生じないというものではない。従って課税対象となる所得の算出は会計上の利益計算によってのみその目的が達せられるものでなく、当該利益計算を行った後、租税政策に基づいて各税法に規定された税務計算による調整を行うことによりはじめてその目的が達成されるのである。

3. 財産法(資産負債増減法)による利益計算は、計算対象たる一定期間の始期時(期首)と終期時(期末)の財産の状態を比較することにより所得額の算出が可能となり、これを算式で示すと「期末正味財産」-「期首正味財産」=「当期増減額」となる。しかし個人事業所得者については、この一定期間中に生活費(本人およびその扶養者)等の事業外支出があり、右支出は個人事業所得の算出に関しては事業上の必要経費より除外されるため、「当期増減額」に右支出額を加算して算出することとなっており、他方、事業外収入がある場合には、「当期増減額」と「事業外支出額」の合計額よりかかる所得の基因たる収入額(「事業外収入額」)の合計額を減算して計算することとなっている。従って、もろもろの所得のうち事業所得以外所得(原告のいう損益法による営業外収益と同一の目的・性格を有する。)相続・贈与により取得した資産については所得の種類ごとに明確に区分され、また、生活費についても区別して算出されるから、財産法(資産負債増減法)による課税標準の計算(本件では個人事業所得の計算)について、何らの不備・欠陥は認められず、所得税法上適法である。

4. 原告は青色申告者ではなく、前述したように継続的に取引を記録した帳簿書類がないのであるから、継続した取引記録があってはじめて可能な、企業の活動経過に基づく損益法による利益計算はできず、原告の主張する損益計算書も推計計算を加味したものである。

五、別表一資産負債増減計算表(昭和三〇年分)ならびに期首および期末現在の掲上金額の計算根拠は次のとおりである。

1. 預金

(一) 原告に帰属する期首の四、二九六、四〇一円の銀行預金(普通預金)の内訳は別表三のとおりである。

(二) 原告に帰属する期末の四四、五〇一、四一一円の預金は普通預金三、三〇一、四一一円、通知預金六、二〇〇、〇〇〇円、指定金銭信託三五、〇〇〇、〇〇〇円であり、各預金種類別の内訳は別表四のとおりである。

2. 売掛金

(一) 売掛金の期首二〇、四二五、一八〇円の内訳は別表五のとおりである。

(二) 売掛金の期末九、五九九、二七〇円の内訳は別表六のとおりである。

3. 受取手形

(一) 受取手形の期首六五、七三四、三三八円の内訳は別表七のとおりである。

(二) 受取手形の期末八九、四三七、二四七円の内訳は別表八のとおりである。

4. 有価証券

有価証券の期首二〇〇、〇〇〇円、同期末二〇〇、〇〇〇円の内訳は別表九のとおりである。

5. 貸付金

期首の三、〇〇〇、〇〇〇円の内訳は別表九のとおりである。

6. 買掛金

期首の七三三、七六〇円、期末の六、五五二円の内訳は別表九のとおりである。

7. 預金利子

原告の銀行預金について、昭和三〇年中に発生し当該預金額に付された収入利息は、原告の事業活動によって増加収得されたものでないから、これを事業所得から区分するため除算所得とした。なお、預金の利子所得については、租税特別措置法二条の二の規定により非課税である。昭和三〇年中に取得した預金利子は別表一〇のとおり合計三〇三、〇九二円である。

8. 配当金

原告の所有する有価証券について、昭和三〇年中に支払確定のあった配当金であり、これは原告の事業活動によって増加収得されたものでないから、これを事業所得から区分するため除算所得とした。昭和三〇年中に取得した配当金ならびに右除算所得とすべき金額は別表一一のとおり一〇、六二五円である。

9. 家計費

所得税法においては、家事関連の費用は必要経費として認められない(同法一〇条二項)。よって原告方の家計費等は、原告の所得金額中から支払われたものとみなされ加算所得に計上される。昭和三〇年中の家計費は別表一一のとおり合計二九〇、〇〇〇円である。

10. 否認公租公課

原告が昭和三〇年中に支払った租税公課のうち、所得税法(一〇条二項)上必要経費として認められない税金(たとえば、事業税または事業の用に供される固定資産に課せられた固定資産税等のように是認公課と認められるものを除く。)は、原告の所得金額中から支払われたものとみなされ加算所得に計上されることとなる。昭和三〇年中に支払った否認さるべき公租公課は別表一一のとおり合計四七二、五三二円である。

11. 在庫品

期首の五七、一五〇、〇四一円ならびに期末の九八、二七三、六四三円の在庫品の内訳は別表一二(在庫品明細書)のとおりである。

六、別表二資産負債増減計算表(昭和三一年分)ならびに期末現在の掲上金額の計算根拠は次のとおりである。なお、期首現在の掲上金額の計算根拠は前記五で記載の同三〇年分資産負債増減計算表の期末現在の掲上金額の計算根拠に同じである。

1. 預金

原告に帰属すると認められる銀行預金は普通預金三、六四九、〇〇一円、通知預金二〇、〇〇〇、〇〇〇円、定期預金五〇〇、〇〇〇円、指定金銭信託七二、〇〇〇、〇〇〇円合計九六、一四九、〇〇一円で内訳は別表一三のとおりである。

2. 売掛金合計一四、〇八七、一四一円

内訳は別表一四のとおりである。

3. 受取手形 金額合計五八、二七二、一四九円

内訳は別表一五のとおりである。

4. 有価証券四五〇、〇〇〇円

内訳は別表一六のとおりである。

5. 買掛金三三八、二一〇円

別表一六のとおりである。

6. 預金利子

五7において述べたと同様の根拠により除算所得とした。昭和三一年中に取得した預金利子合計四、六三七、六一三円は別表一七のとおりである。

7. 配当金

五8において述べたと同様の根拠により除算所得とした。昭和三一年中に取得した配当金ならびに右除算すべき金額は別表一八のとおり二七、〇〇〇円である。

8. 否認公租公課

五10において述べたと同様の根拠により加算所得に計上した。昭和三一年中に支払った否認されるべき公租公課合計三、六〇五、〇六三円は別表一八のとおりである。

9. 家計費

五8において述べたと同様の根拠により加算所得に計上した。昭和三一年中の家計費は別表一八のとおり合計二六一、〇〇〇円である。

10. 在庫品

期末の一〇六、一〇四、一九五円の在庫品の内訳は別表一九(在庫品明細書)のとおりである。

故非鉄金属取引の帰属とその実態について

原告はウカイ商店名義、鵜飼商店名義および仮名(別表二〇「仮名商店一覧表」参照)を用いて故非鉄金属の取引を行っていたものである。

なお、原告は「ウカイ商店」名義で故非鉄金属の売買を営んでいたが、一方、原告の実兄訴外鵜飼勇も「鵜飼商店」名義で同種同業を営んでおり、同訴外人が右仮名による故非鉄金属の売買を行っていたものであると主張するが、次に述べるとおり右仮名による取引はいずれも原告に帰属し、同訴外人に帰属するものでないから原告の主張は失当である。

1. 名古屋市中川区笈瀬町二丁目一三番地「ウカイ商店」名義によってなされた取引の帰属

同所は、前述したとおり原告の営業および生活の本拠であって、ウカイ商店名義によってなされた取引が原告に帰属することは争う余地がない。

2. 名古屋市中川区笈瀬町鵜飼商店および同区西古渡町鵜飼商店名義によってなされた取引の帰属について

(一) 訴外三井金属鉱業株式会社名古屋営業所が右笈瀬町鵜飼商店から受入れた品名・内容と昭和三〇年・同三一年分原告売上帳の三井金属鉱業口座に記載されている品名および数量欄の内容とが一致しており、右会社の受入額合計から立替運賃諸掛り額を控除した後の金額と右口座の売上金額とは対応し同額である。また、昭和三〇年分訴外丸江伸銅株式会社の仕入帳の右西古渡町鵜飼商店口座記載の品名・数量・単価欄の内容と同年分原告売上帳の右訴外会社口座記載の品名・数量・単価欄の内容とが一致し、右鵜飼商店口座の仕入金額・支払金額と右訴外会社口座の売上金額・受入金額とは対応し同額である。以上の事実からみて、右笈瀬町鵜飼商店、右西古渡町鵜飼商店等漢子の「鵜飼商店」名義でなされた取引もまた原告に帰属することは明らかである。また、このことは前記二の事実からみても明らかである。

(二) 原告は、訴外三井金属鉱業株式会社等は鵜飼商店とウカイ商店とを正確に区別しえなかったものであると主張するが、現金取引であるならばともかく、信用取引を常とする原告の場合には、取引の相手方は誰か、決済の方法はどうするかということが重要であって、原告主張のごとく取引の相手方を区別しえなかったというのは常軌を逸しており、(一)に述べた帳簿等の一致の事実とも矛盾する。

3. 名古屋市中区元田町鵜飼商店名義によってなされた取引の帰属について

原告は昭和二七・二八年ごろから同町三丁目二六番地訴外鵜飼憲一方建物を賃借して倉庫に用い、さらに同三〇年ごろからは同訴外人方の居宅の一部を営業所として賃借し、以来右元田町の店舗を本店として営業を営んできた。従って、右元田町鵜飼商店名義でなされた取引が原告に帰属することは明らかで、訴外鵜飼勇とは何ら関係がない。

4. 訴外丸江伸銅株式会社、同三越金属工業株式会社および同愛知伸銅株式会社等との仮名による取引の帰属とその実態について

原告は京都市南区西九条院二一訴外丸江伸銅株式会社、富山県高岡市吉久新四八一番地同三越金属工業株式会社および名古屋市中区御器所町烏喰三四番地同愛知伸銅株式会社等との間において、別表二〇「仮名商店一覧表」記載の商店名(いずれも実在しない架空のもの)をもって故非鉄金属の取引を行っていたものであり、右事実は以下述べるところからみて明らかである。

(一) 原告は、右訴外会社等に対し鵜飼商店からの仕入れをあたかも仮名の各商店から仕入れたごとく仮装して記帳するよう依頼したことがある。

(二) 訴外会社等は昭和二四・五年ごろから引続き原告と、ウカイ商店または鵜飼商店名義によるほか、仮名で、取引をなしてきたが、右取引の交渉および代金の授受の相手方はほとんど原告であり、少なくとも取引の最終決定は原告によってなされていたものである。

(三) 前記仮名商店の一つである土屋商店を例に挙げてその取引内容を詳細に検討すると、丸江伸銅株式会社の仕入帳のうち土屋商店の取引をみると、末尾最下段には「昭和三〇年一二月一五日現金支払五、三一四円」と記載されているが、右金額五、三一四円は北海道拓殖銀行名古屋支店の原告の預金である鵜飼明名義の普通預金(口座番号九八六)に同年同月二一日支払先丸江伸銅から入金されている事実が記載されている。なお、原告も争わない同社との本名取引による受取手形の同行への入金状況については別表二二のとおりである。

仮名預金等について

1. 普通預金について

(一) 石田五郎名義の普通預金について(別表三<2>)訴外三越金属工業株式会社は鵜飼商店鵜飼明すなわち原告に対し、その買掛金の一部を金額一、二九八、一四三円、支払期日を昭和三〇年四月二九日とする約束手形により同二九年一二月二九日支払った。そして、右手形は支払期日である同三〇年四月二九日に訴外東海銀行古渡支店に石田五郎名義で取立てが依頼されており、支払期日の翌日である同年四月三〇日に右銀行の右名義普通預金口座へ入金されている。また、同支店に右石田が普通預金を預け入れていることも明白である。ところで、右石田五郎は住民登録等もなく実在しない仮名の者である。以上の事実から付度すれば、原告は右訴外会社から買掛金の支払として受領した約束手形を右東海銀行古渡支店に石田五郎なる仮名を用いて取立てを依頼したものであり、石田五郎名義の普通預金は原告の預金であると認められる。

(二) 横井一友(別表三<4>)、小川良雄(同<6>)、秋田勝彦(別表四A<2>)、林田正直(同<3>)、藤田晃(同<4>)、竹田重太郎(同<6>)、水谷喜一(同<9>)、山森隆(同<10>)、林重信(同<12>)、加藤竜太郎(同<14>)、秋田利久(同<16>)、山田信夫(同<17>)、吉田一正(同<19>)名義の各普通預金について

右石田五郎の場合と同様の理由によりそれぞれ原告の預金であると認められる。

(三) 原告は右各名義中、石田、横井、小川、竹田、秋田、山田名義の各普通預金については、原告が訴外三越金属工業株式会社等から受領した各手形を訴外鵜飼勇から割引を受け、同訴外人がこれらの手形を右石田等の変名で銀行に取立委任し、同変名名義等の普通預金に入金したものであるから右名義等の普通預金は原告に帰属するものではないと主張するが、後記被告主張一〇2において述べるとおり、右各手形につき、訴外勇が原告に依頼されて手形割引をした事実が認められない以上、右各手形は原告に帰属するものであり、従って右各名義の普通預金は原告のものである。また、原告は右名義以外の前記秋田勝彦等名義の各普通預金については、訴外丸江伸銅株式会社等が仮名の仕入先たる河合商店等(別表二〇参照)に振出した各手形が銀行において取立てられ、右秋田勝彦等の仮名の普通預金に預け入れられたもので、右各手形は原告に全然関係がなく、訴外勇が右各名義で預け入れたものであると主張するが、後記一〇1において述べるとおり右各名義の普通預金は原告のものである。

2. 指定金銭信託

(一) 訴外株式会社東海銀行大池町支店長代理安藤英雄は昭和二六年三月より同三〇年一一月までの間、二、三回程原告の営業所である名古屋市中区元田町鵜飼商店を訪問して預金を勧誘した結果、原告は同三一年四月に至り当時同行大須支店に勤務していた同訴外人を頼ってきて預金することとなり、同行信託部川口鐘作部長代理と面接し、前後二回に亘り同行信託部において同行大須支店からの取次分として原告の指定金銭信託合計一〇、〇〇〇、〇〇〇円(別表一三4指定金銭信託<563>ないし<666>)がなされたものである。

(二) 前記大池町支店倉庫内に保管されていた同行支店次長福島二郎作成の備忘録には、別表一三4指定金銭信託<7>ないし<567>合計五六、〇〇〇、〇〇〇円に相当する同信託の番号および名義、同じく<1>ないし<6>合計六、〇〇〇、〇〇〇円に相当する同信託の名義、別表四C指定金銭信託<1>ないし<35>合計三五、〇〇〇、〇〇〇円に相当する同信託の名義がそれぞれ記載されていること、また、右備忘録には右番号名義の指定金銭信託が「ウカイ」のものであるとメモされており、同行信託部は昭和三二年九月決算期に原告の昭和三一年分指定金銭信託七二、〇〇〇、〇〇〇円(別表一三)に対する収益金を一括して支払っていること、そして、右七二、〇〇〇、〇〇〇円の内容は、前記(一)の一〇〇、〇〇〇、〇〇〇円および右五六、〇〇〇、〇〇〇円と右六、〇〇〇、〇〇〇円であり、かつ、銀行信託部が他人の金銭信託に対する収益金を原告に対し一括して支払うことは到底考えられないこと等から考えても右五六、〇〇〇、〇〇〇円、六、〇〇〇、〇〇〇円の合計額六二、〇〇〇、〇〇〇円の金銭信託は原告に帰属するというべきである。昭和三〇年契約の前記三五、〇〇〇、〇〇〇円についても同様である。さらに、同行大池町支店からの取次分として作成された右六二、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和三三年三月期決算の収益金について、当該預金者名義の捺印のある支払請求書を提出し当該収益金を領収したのは原告である。

(三) 前記二、七において述べたように、原告の事業および取引の実態からみても、訴外鵜飼勇は過去において如何なる意味においてもかかる多額の預金をするそれ相当の所得をえていた事実はない。

(四) 以上の事実を総合勘案すれば右指定金銭信託合計七二、〇〇〇、〇〇〇円が原告に帰属するものであることは明白である。

(五) 原告は指定預金信託を預け入れに来たのは訴外鵜飼勇であり、前記銀行作成の信詫預金元金および収益金明細書に当該信託が中区元田町鵜飼商店関係(鵜飼勇)のものと思われる旨記載されているなどから、本件指定金銭信託は原告に帰属しないと主張するが、銀行取引における預金の出し入れは代理人または使用人によることが可能であり、また、前記所在地にある鵜飼商店は原告自身の営業店舗に外ならず、前記記載も「元田町鵜飼商店関係」という場所に重点を置いて解すべきである。さらに原告は、前記備忘録は実体を反映していない。また、銀行・信託取引の場合には全然ウカイ商店という名称を使用しなかったと主張するが、主だった仮名の客筋についてその預金の真実の帰属者が誰かを何らかの形で備忘録にメモしておくことは当然要求されるから、かかる必要から作成された前記備忘録も実体関係をそのまま反映したものと見るべきであり、また、原告が東海銀行、神戸銀行、その他の銀行取引について「ウカイ商店」の名称を用いていることも明白である。

3. 通知預金および定期預金について

(一) 都築幸造名義の通知預金について(別表四B)

訴外株式会社東海銀行大池町支店の倉庫に保管されていた同行預金係作成の雑記帳に、昭和三〇年一二月二九日都築幸造名義により四、〇〇〇、〇〇〇円の通知預金が新規に契約されたことが記載されており、右名義の横にはウカイとメモされている。

さらに、同月三〇日の一、五〇〇、〇〇〇円および同月三一日の七〇〇、〇〇〇円はいずれも同人名義で通知預金として新規に契約されているので、右預金も前述同様ウカイのものと認められる。同行瀬戸西支店長鈴木敏正の回答によれば、右ウカイとメモされているものは鵜飼商店たる原告の預金であることが明らかである。

(二) 久野孝一外四名名義の定期預金について(別表一三3)

訴外三井銀行上前津支店作成の久野雄二名義定期預金カードの備考欄には久野孝一外四口と記載されているが、右定期預金は、久野孝一、同健二、同久三、同松子、同明子名義の定期預金合計五〇〇、〇〇〇円であり、また、右久野雄二名義の同行貸金庫の使用者は鵜飼商店である。

(三) 岡本三男外一九口名義の通知預金について(別表一三2)

訴外東海銀行大池町支店長榊原福三らが作成した鵜飼商店関係推定定期預金明細書等によれば、右明細書に記載された武川一男外二〇名合計二〇、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金は鵜飼商店のものであって、当初通知預金としてそれぞれ契約され、その後定期預金に移行したものであるにかかわらず、右定期預金の利息計算の起算日を当初通知預金の契約日とする異例の取扱いがなされているところ、この預金が鵜飼商店に帰属することが明らかであるから、右定期預金に移行する以前の通知預金(以下、移行前通知預金という)もまた鵜飼商店に帰属することは明らかである。そして、右移行前通知預金合計二〇、〇〇〇、〇〇〇円が岡本三男外一九口名義合計二〇、〇〇〇、〇〇〇円の通知預金に該当する。即ち、前記定期預金明細書記載の岡本繁外四名合計一、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金についてみると、岡本三男名義の通知預金は岡本三男、同繁、同鈴雄、同豊誠、同紀明の五名に分割されて定期預金となっているが、右五名の合計額は一、〇〇〇、〇〇〇円であって右岡本三男名義の通知預金と同額であること、岡本繁外四名の「移行前通知預金」の契約日と岡本三男名義の通知預金の契約日とが一致することなどから、右岡本繁外四名の「移行前通知預金」は岡本三男名義の通知預金に該当し、結局岡本三男名義の通知預金が岡本繁外四名の定期預金に移行したものである。他の一九名名義による通知預金についても、右岡本繁外四名の定期預金の場合と同様の理由により他の二〇口の「移行前通知預金」に該当する。

(四) 右のほか原告の営業取引の実態ならびに前記指定金銭信託について被告の主張する仮名預金等の設定状況の同一性などの諸事情を考慮するならば右通知預金および定期預金は原告に帰属するものである。

九、売掛金について

新美鋳造所に対する売掛債権について(別表五<17>、同六<16>)

新美鋳造所は訴外新美秀吉個人が経営し昭和二三年二月頃より同二九年一二月頃まで原告経営のウカイ商店から原料を仕入れていたこと、ウカイ商店は右鋳造所に対し同月二八日現在二、九六九、三三五円の売掛金債権を有して請求に及んだがその支払いなく同三一年一〇月に至って右売掛金債権を訴外恵美龍雄へ譲渡していること、訴外新美秀吉も営業不振によりついに同二九年九月頃新美鋳造所を閉鎖廃業の止むなきに至ったが、その後間もなくコガネ製作所名義で業務の再開を計り、その営業を同三一年一〇月まで継続していたことが明らかであって、新美鋳造所の閉鎖廃業をもって直ちに右債権が回収不能と見なされるものではなく、前記債権譲渡以前の段階である同三〇年期首および期末現在においては原告の新美鋳造所に対する右売掛金債権はなお存在し、これを原告主張のごとく貸倒勘定に計上すべき理由はない。

一〇、受取手形について

被告主張の受取手形はいずれも原告に帰属し、係争年分各期首・期末現在において原告の手許に現存していたものである。以下、その理由を次の手形流通形態表(被告主張の係争年分各期首・期末受取手形のすべてを各個別に分析し、その取引先から銀行取立入金に至るまでの経路を異なる形態によって区分したもの。)に基づいて述べる。

「手形流通形態表」

<省略>

(例示手形は各形態の典型的な例としてあげた。)

1. 仮名商店取引名義にかかる受取手形の帰属について(Bの形態に属するもの)

(一) 七において述べたように訴外丸江伸銅株式会社、同三越金属工業株式会社および同愛知伸銅株式会社はいずれも原告からの依頼によってその取引を仮装隠ぺいするため前記仮名商店名義(別表二〇「仮名商店一覧表」参照)を用いていたことが明らかであるので、右仮名商店取引にかかる受取手形が原告に帰属することは当然である。例えば、前表B欄に該当する<60>(別表八)の手形は、訴外丸江伸銅株式会社と仮名商店たる土屋商店との間の取引につき同商店が受取り、仮名の林増雄が銀行取立最終裏書人、同取立入金預金者となっているが、右受取手形は原告に帰属する。

(二) 前記仮名商店中土屋商店名義の受取手形一〇通(別表八<60>ないし<70>)のうち、<63>の受取手形を検討すると、訴外東海銀行大須支店における右手形取立に際して記載された裏書名は鵜飼明となっており、かつ昭和三一年三月二八日原告の普通預金に入金されている。右事実によれば右<63>については前表A形態における受取手形の最終裏書人が鵜飼明となっている場合と同様であり、また、訴外鵜飼勇が鵜飼明という仮名を用いて裏書したとも考えられない。

(三) 従って、右手形と同じ取引にかかる土屋商店名義の他の手取手形(別表八<61>、<62>、<64>ないし<69>)はもとより、他の仮名商店取引名義にかかる受取手形(同<70>ないし<91>、<100>ないし<104>、別表一五<21>、<111>ないし<114>がいずれも原告に帰属することは明らかである。

2. 原告が訴外鵜飼勇より割引を受け同人に譲渡交付したため各期首、期末には原告の手許になかったと主張する受取手形について(Cの形態に属するもの)

(一) 先に述べたとおり、故非鉄金属取引のうち訴外鵜飼勇の取引と認められるものは全く存在せず、しかも訴外鵜飼勇が過去において相当の所得をえていたことを実証すべき具体的な事実もなく、多額の手形割引をなしうる資金を有していたこともないから、当該受取手形を訴外鵜飼勇より割引をうけ同人に譲渡交付したため各期首・期末現在には原告の手許になかったということはできない。

(二) 原告が割引をうけたとする受取手形を検討すると昭和三〇年期首(原告否認分計五四通、別表七参照)期末(原告否認分<29>外一〇通、別表八参照)の分については銀行取立最終裏書人はいずれも仮名(小川良雄、林増雄外四名)であって実在せず、原告に帰属する仮名(同人等名義)預金に取立入金されており、同三一年期末の分(原告否認分計一〇九通、別表一五参照)については原告がすでに認めている鵜飼明名義の預金で取立てがなされている事実がある。

(三) 割引を受けたとする右昭和三一年期末受取手形中、訴外丸江伸銅株式会社からの受取手形は、原告の住友銀行名古屋支店の普通預金で取立てがなされているのをはじめ、その他の取引先からの受取手形も北陸銀行金山支店、東海銀行水主町支店、三井銀行名古屋支店、日本勧業銀行栄町支店、大垣共立銀行名古屋支店、東海銀行古渡支店等いずれも原告の普通預金より取立てがなされている。そこで、右東海銀行古渡支店の普通預金入出金額明細書を例にその一部につき当該手形と照合すると、別表二一「昭和三一年期末現在の受取手形の銀行取立状況表」のとおりである。従って、原告の預金で取立てがなされていることが明らかである。

(四) 七、4、(三)で述べたほか、さらに、別表二二「北海道拓殖銀行の預金出入記入表の入金額と丸江伸銅株式会社口座の支払額との照合表」によると、原告が訴外鵜飼勇から手形割引を受け当該期首・期末には原告の手許になかったとする手形も、原告が該当日に所持していたと認めた手形と同様の経緯により取立入金されている事実がある。

(五) また、原告名義の裏書により銀行取立てをした受取手形については、仮に訴外鵜飼勇が原告のため手形割引をしたとするなら、原告が銀行取立について最終裏書(取立委任裏書の意味)人になるはずはない。

(六) 昭和三〇年期首現在の受取手形中、原告が明らかに争っていない受取手形の受入から銀行取立てに至るまでの状況を検討すると、仮名による銀行取立て分(別表七<26>ないし<28>、<44>、<45>)が含まれている事実から、その一部を被告が調査した調査表に基づき整理すると別表二三「受取手形等取立経路分解図」のとおりとなる。同表は仮名により取立てがなされた分の一例示であるが、このように、一部原告の買掛金等と相殺し、残額を手形等によって原告の本名にて取立てたものも同様のケースとして存在するのでその一部を例記する(別表二二備考欄)。

一一、買掛金について

原告は訴外第一物産株式会社名古屋支店に対する昭和三〇年分期首買掛金(別表九買掛金<2>)につき、昭和二九年中に債権放棄の特約が成立し右買掛金債務は消滅したと主張するが、その事実はなく、右主張は改ざんされた証拠に基づくものである。

一二、預金利子の帰属について

仮名預金が原告に帰属するとする被告の主張と同様の理由により、その利子も原告に帰属する。

一三、在庫たな卸商品について

1. たな卸商品の種類等およびその数量の算定

原告は従来から商品有高帳の備え付けがなく過去において実地たな卸を行った記録もないので、帳簿たな卸によっては原告のたな卸資産が確認されず、従って被告は査察に着手した当時令状を得て、昭和三三年三月一八日名古屋市中川区笈瀬町の原告宅、同市中区岩井通の鵜飼勇宅、同区元田町鵜飼克祐宅、大阪市東成区大今里南町ウカイ商店大阪出張所および右大阪出張所の商品保管先である京都市所在丸江伸銅株式会社等五か所に臨場して検証し、保管中の原告の商品について実地たな卸を行った。右鵜飼克祐宅には相当多量の商品があったが、調査係官が原告またはウカイ商店店員の立会いのもとに、俵詰めの商品はもとより細かいばらのものについても俵等に詰めてそれぞれ検貫し、その都度原告らに確認を求め、その日に検貫済のもののみ在庫品確認書を作成し、その他のものについては約一週間で検貫を終了した上検証てん末書を作成した。

中区岩井通の鵜飼勇宅についても同様に、調査係官が鵜飼勇の立会いのもとにそれぞれ検貫して在庫品現在高確認書および検証てん末書を作成した。

中川区笈瀬町の原告宅については、商品が少量であったため原告の申立てにより確認のうえ在庫品現在高確認書を作成した。

ウカイ商店大阪出張所、丸江伸銅株式会社についても同様責任者・担当者ら立会いのもとに調査係官が商品およびその種類ごとの数量を実地に確認して在庫品現在高確認書を作成した。

このようにして作成した前記検証てん末書、在庫品現在高確認書をもとにして昭和三三年三月一八日現在の実地たな卸商品評価調書を作成した。

そして原告は今迄実地たな卸を行ったことがなく、在庫たな卸商品の数量算定が可能となる程度の商品有高帳・仕入帳の備え付けがないため、前記実地たな卸を行った昭和三三年三月一八日現在の有高から受払いをして遡って各係争年分期首・期末の種類ごとの数量を算定することが不可能であったので、同日現在の実地たな卸評価調書に基づきたな卸商品有高を認定した。

すなわち、原告、鵜飼勇、同憲一に対する名古屋国税局大蔵事務官の各質問応答によれば、たな卸商品の種類およびその数量については常時同程度であったことが認められ、従って、原告営業のウカイ商店の係争各年期首・期末現在における在庫たな卸商品の種類等およびその数量については、前記実地たな卸評価調書記載の種類およびその数量と同一であると認定した。

2. たな卸商品の評価について

旧所得税法第一〇条の二および同法施行規則(昭和三六年政令第六二号による改正前をいう。)第一二条の九、同条の一〇では、その年一二月三一日において有するたな卸資産で個々の原価の算定しがたいものの同日における価額の評価方法は、たな卸資産をその種類、品質、型等(以下、種類等という。)の異なるごとに区別し、その種類等の同じものについて、一般に原価法とよばれている「先入先出法、後入先出法、総平均法、移動平均法、単純平均法、売価還元法および最終仕入原価法」によることとされており、これらの評価方法の選定および届出については確定申告書または損失申告書の提出期限までにそのよるべき方法を選定し納税地の所轄税務署長に届出ることとされているのであるが、届出をしなかった場合においては当該個人がよるべきたな卸資産の評価方法は売価還元法によることと規定されている。而してたな卸資産の評価方法は多数あるが、その評価についてはいかに合理的に正確に把握するかということが問題である。

原価法(売価還元法を除く。)はその要件として、それぞれ次の事柄が予定され明らかとなってはじめて可能である。

(一) 先入先出法、後入先出法および移動平均法は各たな卸商品すべてについて、その受入数量、受入原価、残存量等の異動が帳簿上継続記録されていること。

(二) 総平均法はその年度におけるたな卸資産の期首の価額と期中に取得したたな卸資産の取得価額の合計額およびその総数量が明らかであること。

(三) 単純平均法は取得単位の異なるごとに一単位当りの取得価額およびその数量が把握されていること。

(四) 最終仕入原価法は種類等の異なるごとにその年一二月三一日に最も近い日において取得したたな卸資産の取得単位が明らかであること(この方法は時価法に極めて近似する。)。

従って、最終仕入原価法はともかく、これらの評価についてはその前提として極めて整備された正確な記帳がなければならない。ところで原告の記帳状況等については、1において述べたとおり、過去において在庫有高の実地たな卸を行った記録もなく、商品有高帳はもちろん、右原価法による評価が可能となる程度の仕入帳等の備え付けもないので、原告の係争各年の期首・期末におけるたな卸商品の評価方法((一)ないし(四))のいずれによるも不可能である。

また、本件の場合、たな卸資産の評価方法についてはあらかじめ如何なる方法によるべきかについて税務署長に対する届出がなされていないため、右売価還元法による場合、各商品、原材料等の種類・品質・型の異なるごとに仕入価額と売上予定価額をまず把握しなければならないところ、本件のごとく記帳等による把握が不可能で、しかも、商品等の種類が復雑多岐にわたっているので、仕入価額および売上予定価額について、他の同業者の記録による等、ある時点におけるある商品の価額を推計計算せざるをえない。

しかし、この方法は推計に推計を重ねるもので極めて不正確であるので、売価還元法を課税標準算定の基礎(たな卸資産評価額)として採用することは妥当を欠くうえ、右方法によることは技術的にも不可能ないし極めて困難な状況にあるので、本件の場合いささか変則ではあるが時価法(旧所得税法施行規則一二条の九第二項一号)によって評価し、できる限り推計および仮定を排除する意味において、この方法を採用して可能な限り正確なたな卸資産評価額の把握につとめたのである。原告においても、売価還元法または他の原価法による評価が不可能なためやむをえず時価法によってたな卸評価調書を作成しているのである。

なお、原告は被告作成の在庫品明細書等の評価調書をみると全然価格調査が行われていない品目があるので、在庫表自体信用しがたいと主張するが、前述のように被告は可能な限り調査をして妥当な評価額算出につとめたが、右空白の品目については妥当な評価額を算出することが不可能だったので敢えて空白としたもので、原告主張のごとく価格調査が行われなかったものではないから右主張は失当である。

(被告名古屋市中川区長の主張)

一、徴税令書の記載について

昭和三三年七月当時施行中の地方税法(同二五年法律二二六号)一条一項六号に規定する徴税令書の記載内容は全部が不可欠の有効要件ではない。徴税令書には、徴税令書たること、納税者の住所・氏名・税種目・税額・納期・納付額・納付の場所の各要件の記載があれば徴税令書としての必要事項を具備しているものと解せられるから、その余の記載事項即ち賦課の根拠となる法律条例の規定・救済の方法等がないからといって賦課が違法となるものではない。

二、時効について

右地方税法一八条の二第一項三号は交付要求を時効中断の事由として規定し、その交付要求がなされている期間は時効の進行はない。また、同法三三一条五項によれば、国税の滞納処分による差押がされているときは交付要求は、参加差押によりすることができるところ、被告中川区長は名古屋国税局が差押えた左記不動産について、昭和三七年二月一〇日参加差押をしたので時効は中断した。

名古屋市中区元田町三丁目二六番 宅地 二四五坪二三 但し、原告持分

同所同番の四 宅地 八坪九一 但し、原告持分

同市中川区笈瀬町二丁目一三番 家屋番号第三七番木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅

建坪 二一坪二〇 外二階 一六坪一〇

三、右地方税法二九二条一三号、二九四条、二三条四号によれば、市民税、県民税の所得割は所得税額を課税標準として個人に対して課するものであり、また、同法二九二条五号によれば右所得税額は所得税法の規定によって納付すべき所得税額をいうものとされているから、右所得税額が適法であれば市県民税額(所得割額)もまた適法であるところ、被告税務署長の主張するとおり、本件再更正処分は適法であるから被告中川区長のなした昭和三一、三二年度市県民税所得割額の本件各賦課処分もまた適法である。

(被告名古屋市中川区長の本案前の主張に対する原告の主張)

一、原告は請求原因三12記載の更正賦課処分について、昭和三三年七月二八日当時施行中の地方税法(同二五年法律二二六号)三二八条一項により名古屋市長の職務代行者たる被告名古屋市中川区長に対し異議の申立をした。しかるに名古屋市長は右申立を受理しながらこれに対する決定を今日に至るまでなさず放置している。

二、行政事件訴訟特例法二条一項本文によれば、行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴は、その処分に対し法令の規定により異議の申立のできる場合には、これに対する裁決、決定その他の処分を経た後でなければこれを提起することができないから、本件は同法による六箇月(同法五条一項)もしくは一箇年(同条三項)の出訴期間の規定の適用はない。また、同法五条四項によれば右各出訴期間は、処分につき訴願(訴願、審査の請求、異議の申立等を含む)の裁決(裁決、決定、その他の処分を含む-同法二条一項)を経た場合には、右訴願の裁決のあったことを知った日又は訴願の裁決の日からこれを起算する旨定めているところ、本件においては前述のように右にいう裁決が存しない。

三、昭和三七年一〇月一日右特例法が廃止され、これに代る行政事件訴訟法一四条一項によれば、取消訴訟の出訴期間は三箇月と定められているが、同条四項は処分につき審査請求をすることができる場合において審査請求があったとき、その審査請求をした者についてはこれに対する裁決があったことを知った日又は裁決の日から起算する旨規定しており、ここにいう審査請求とは行政事件訴訟特例法二条本文に掲げられた訴願に相当し、従って異議の申立その他行政庁に対する不服の申立をも包含するものと解すべきである。また本件の場合は、行政事件訴訟法一四条三項但書の正当な理由があるから同項本文の適用もない。

(被告らの主張に対する認否および原告の主張)。

一、被告中川税務署長(以下、単に被告という場合は被告中川税務署長をさす)の主張一は争う。

二、原告の事業の実態について

1. 被告の主張二1のうち、原告が被告主張の各時期に名古屋市中川区笈瀬町、同市中区岩井通、同区元田町および大阪市東成区大今里南之町の各地にそれぞれ営業所・倉庫を設け故非鉄金属問屋業を営んでいたことは認めるが、昭和二四、五年ころから名古屋市中川区西古渡町三丁目二〇番地訴外鵜飼勇方に営業所を設けたとの点は否認する。

原告は昭和二四、五年ころから右訴外勇方と隣り合わせの別個の建物内で営業をしていた。同訴外人は昭和二三年ころから同三一、二年ころまでその住所地にある建物に居住し、同所で故非鉄金属商を営業していたことがある。そのためそれぞれの取引先が錯誤を生じ間違いを起して、混乱を来たしたことがあった。また、原告は業務の発展に伴って次第に手狭まを感ずるに至ったのと、名古屋市の区画整理により江川通りの道路拡張が実施されるため早晩立退きを迫られる事態を予想して、同二七、八年ころから前記元田町所在訴外鵜飼憲一方建物を賃借して倉庫に用い、さらに同三〇年ころからは同人方居宅の一部も営業所として賃借することになったので、右西古渡町の店を閉じてこれに移り、以来右元田町の店を本店として営業をなし、なお、同二八、九年ころからは訴外鵜飼勇所有の前記岩井通所在の建物をも倉庫として借り受け商品の保管場所として利用し現在に至っている。

2. 同二2の事実は否認する。

ウカイ商店は原告単独の経営にかかるものであって共同事業ではない。また、訴外勇がかって前記西古渡町で鵜飼商店として原告と同じ営業をしていたことは右1において述べたとおりである。

三、被告の主張三を争う。

商法三二条は単に商人は日々の取引その他財産に影響を及ぼすべき一切の事項を記録することを要する旨規定するに止まり、いわゆる複式簿記の方式をもって帳簿を備え付けることを求めてはいない。原告作成所有の手帳・雑記帳等は原告が日々の取引をその都度記録したもので、単なる伝票でも証拠でもない。わが国はもとより世界各国において明かに原始記録となすべき納品書や領収書をそのまま整理して商業帳簿として取扱うところの伝票式簿記組織を採用するものが多くなっている。

四、本件において被告主張の資産負債増減法言い換えれば財産法を用いる所得計算方法は欠陥があり不当である。

1. 所得税法においては所得の種類のいかんによって課税標準が相違し、相続税法上の資産取得に対する税率とも異なる。それゆえ、もし財産法によって所得計算をする場合問題が生ずる。即ち、財産法は前期末(期首と同意義)における財産の状態と、当期末における財産の状態とを比較して、期末において財産が増加していたとき所得があったものと断定することである。従って財産法はただ単に一定財間内における財産の増加の有無を調査するのみであって、その所得が何によって生じたかという所得の種類を究めることは不可能であり、この所得の種類を確認することは損益法によってはじめてなしうる。

2. 財産法によるときは納税者たる個人の家計簿によってその生活費を正確に計上しなければならない。しかし家計簿がない本件の場合は原告方の生活費を正確に算出することはできない。

3. また、財産法は現金の収入支出の関係を把握することが困難である。

4. これに対し損益法は事業所得を営業利益の項目下において明確に把握できるのみならず、事業所得に比べれば課税標準の割合の異なる譲渡所得・一時所得等、非課税所得として課税標準というものが全然存在しない郵便貯金利子等、証券投資信託によって受けた利益、相続、保険金等の所得は、営業外収益の項目下においていずれも機械的に把握しうる。

5. 以上は、所得税法の解釈上本件において、所得計算方法として必ず損益法をとらなければならないことを示すものである。

6. 損益計算書に基づき、損益法によって原告の昭和三〇、三一年分各事業所得を調査計算したところ、損益は次のとおりである。

昭和三〇年分 純利益 一八、一九五、七〇〇円

同 三一年分 純損失 九七四、四九〇円

7. 原告において税法および会計理論に基づいて右両年分の事業所得額を計算したところ(たな卸商品評価については青色申告者でもなく、所得税法一〇条の二第二項による届出もない原告においては売価還元法によるべきであるが、原告のたな卸資産には売価(正札)がないので移動平均法をとる。)、昭和三〇年分所得金額一二、二一八、一四六円(但し、右移動平均法による期末在庫評価額八九、八五三、六八七円)、同三一年分所得金額五、八四七、八一四円(同じく期末在庫評価額一〇八、二七〇、一七五円)と算定するのが所得税法上また右6で述べたように損益計算書によって示された利益または損失金額の点からいっても妥当である。

仮に被告主張の資産負債増減法による推計計算が採りうるとすれば、右計算の算定根拠すなわち別表一(昭和三〇年分)、同二(同三一年分)に対する認否は各表原告認否欄記載のとおりである。

五、被告主張五の昭和三〇年分資産負債増減計算内容について

1. 預金

(一) 期首銀行預金(普通預金)中、別表三記載の<2>、<4>、<6>の各預金を否認し、その余は認める。

(二) 期末銀行預金中、別表四記載のA普通預金のうち、<2>、<3>、<4>、<6>、<9>、<10>、<12>、<14>、<16>、<17>、<19>の各預金、B通知預金の全部、C指定金銭信託の全部を各否認し、その余は認める。

2. 売掛金

期首売掛金(別表五)・期末売掛金(同六)はいずれも否認する。

3. 受取手形

(一) 期首受取手形中、別表七記載の<33>、<51>、<53>ないし<68>、<70>ないし<73>、<75>ないし<77>、<80>ないし<82>、<84>、<85>、<89>、<90>、<92>ないし<96>、<102>、<106>ないし<108>、<110>、<111>、<114>ないし<116>、<118>ないし<121>、<123>、<124>、<126>、<129>の各受取手形を否認し、その余は認める。

(二) 期末受取手形中、別表八記載の<20>、<60>ないし<91>、<100>ないし<110>、<117>、<137>、<138>、<192>の各受取手形を否認し、その余は認める。

4. 有価証券、貸付金(別表九)

有価証券につき認め、貸付金につき否認する。

5. 買掛金

期首買掛金中、別表九記載の<2>の買掛金を否認し、その余は認める。

6. 預金利子

別表一〇記載の<3>ないし<6>、<8>ないし<10>、<13>ないし<15>、<17>、<21>、<25>ないし<26>、<30>、<31>、<36>ないし<62>の各預金利子を否認し、その余は認める。

7. 配当金、家計費、否認公租公課(各別表一一)

各認める。

8. 在庫品

期首・期末在庫品(別表一二)はいずれも否認する。

六、被告主張六の昭和三一年分資産負債増減計算内容について

1. 預金(別表一三)

銀行預金中、普通預金を認め、通知預金、定期預金、指定金銭信託をいずれも否認する。

2. 売掛金(別表一四)

認める。

3. 受取手形

別表一五記載の受取手形はすべて否認する。

4. 有価証券、買掛金(各別表一六)

有価証券につき認める。

5. 預金利子

別表一七記載の鵜飼明、富田音吉各名義(<1>ないし<3>、<8>ないし<10>、<12>ないし<14>、<18>ないし<21>、<27>ないし<31>、<37>、<39>、<40>、<41>、<44>ないし<46>、<53>、<58>ないし<66>)の預金利子を認め、その余は否認する。

6. 配当金、否認公租公課、家計費(各別表一八)

各認める。

7. 在庫品(別表一九)

否認する。

七、従って、仮に本件所得計算方法につき資産負債増減計算を採用すべきものとしても、右五、六において認否したところにより、原告の所得額は被告主張額に対し次のごとき減算または加算による整理をしなければならない。

1. 昭和三〇年分

(一) 被告主張の同年分所得金額(別表一参照) 九二、三八一、六三四円

(二) 減算すべきもの

イ 同年期末普通預金否認額(前記五、1(二)参照) 二、〇七五、五九四円

ロ 同通知預金否認額(同) 六、二〇〇、〇〇〇円

ハ 同指定金銭信託否認額(同) 三五、〇〇〇、〇〇〇円

ニ 同売掛金貸倒れ計上(新美鋳造所分)(前記五、2参照) 二、九六九、三三五円

ホ 同受取手形否認額(同五、3(二)参照) 二〇、七一四、三六三円

ヘ 同年期首買掛金否認額(同五、5参照) 五〇七、六一四円

ト 同年分預金利子否認額(同五、6参照) 二八七、九八二円

チ 同年在庫品架空利益(同五、8参照) 四一、一二三、六〇二円

合計 一〇八、八七八、四九〇円

(三) 加算すべきもの

イ 昭和三〇年期首預金否認額(同五、1(一)参照) 一、七六五、〇一一円

ロ 同受取手形否認額(同五、3(一)参照) 三二、五一三、二三九円

合計 三四、二七八、二五〇円

同年分所得額((一)+(三)-(二)) 一七、七八一、三九四円

2. 昭和三一年分

(一) 被告主張の同年分所得金額(別表二参照) 三一、九二〇、七〇七円

(二) 減算すべきもの

イ 同年期末通知預金否認額(前記六、1参照) 二〇、〇〇〇、〇〇〇円

ロ 同定期預金否認額(同) 五〇〇、〇〇〇円

ハ 同指定金銭信託否認額(同) 七二、〇〇〇、〇〇〇円

ニ 同受取手形否認額(前記六、3参照) 三、三九三、九三二円

ホ 同預金利子否認額(同六、5参照) 四、五九二、八八四円

ヘ 同在庫品架空利益(同六、7参照) 七、八三〇、五五二円

合計 一〇八、三一七、三六八円

同年分所得額((一)-(二)) 〇円

3. なお、かりに1(二)チ昭和三〇年期末在庫品架空利益四一、一二三、六〇二円、2(二)へ同三一年同七、八三〇、五五二円の計上がそれぞれ容認されないとしても、後記一四2記述のごとき事情により、少くとも別表二四記載の「価格増減額」に示された値上り差額昭和三〇年分六、〇〇二、六七五円、同三一年分二、八三八、九八三円は、それぞれ期末在庫品価格から控除されるべきである。

八、仮装取引等について

被告主張にかかる仮装取引が原告のなしたものであることは否認する。訴外鵜飼勇は原告ウカイ商店とは別個の鵜飼商店を経営していたのであり、従って元田町鵜飼商店名義による取引も同訴外人に帰属する。

なお、被告主張にかかる原告名義普通預金中五、三一四円の入金は、かねて原告が訴外勇から種々手形割引を受け割引料を支払っていたところ、その割引料支払額が昭和三〇年一二月一七日現在六、一〇〇円分の過払いとなったので、同日同人から同人所持の訴外丸江伸銅株式会社振出の小切手金額五、三一四円一通と現金七八六円を受取り、原告は取引銀行普通預金口座へ右小切手を預け入れて取立入金したものである。

また、被告の主張する別表二二「北海道拓殖銀行の預金出入記入表の入金額と丸江伸銅株式会社口座の支払額との照合表」に掲げられたものは全部原告が昭和三〇年中に同社から受取り期末に所有していた手形で、訴外勇から割引を受けたものではないから、原告が裏書し取立入金したとしても怪しむにたりない。

九、仮装名義預金について

原告が取引規模を秘匿し多額の仮装名義預金を保有しているとの被告主張事実を否認する。

1. 普通預金

(一) 石田五郎名義の普通預金について

被告主張のごとく、原告は金額一、二九八、一四三円の約束手形を訴外三越金属工業株式会社から売掛代金回収として受取ったが、原告は資金繰りの関係で実兄訴外鵜飼勇に懇請し、同人より手形割引を受け、右約束手形を譲渡した。ところが右訴外人は石田五郎なる仮名で東海銀行古渡支店に取立委任し、取立後同仮名で同銀行に普通預金として預け入れた。従って右石田五郎名義の普通預金は右訴外人のものである。

(二) 横井一友、小川良雄、竹田重太郎、秋田利久、山田信夫名義の各普通預金について

右石田五郎の場合と同様に、原告から割引により裏書譲渡を受けた訴外鵜飼勇が右各仮名で取立て預け入れたものである。

(三) 秋田勝彦、林田正直、藤田晃、水谷喜一、山森隆、林重信、加藤竜太郎、吉田一正名義の各普通預金について

訴外丸江伸銅株式会社等が仕入先宛に振出した手形が取立てられ、訴外鵜飼勇が右各名義で預け入れたもので、いずれも原告(ウカイ商店)とは関係がない

2. 指定金銭信託

(一) 東海銀行行員が原告営業所所在の元田町に訪問したとしても、いつも訴外鵜飼勇と面談しており、かつ、同銀行大池町支店長代理安藤英雄を頼って預金したのは原告ではなく訴外勇であり、従って被告主張の別表一三4指定金銭信託<568>ないし<665>合計一〇、〇〇〇、〇〇〇円は同訴外人が預け入れたもので、訴外東海銀行信託部長作成の信託預金元金および収益金明細書にも右信託が中区元田町鵜飼商店関係(鵜飼勇)のものと思われる旨記載がある。

(二) 被告主張の備忘録には、被告主張の各年分指定金銭信託の各番号と各名義が羅列記載されているだけで、原告が右信託と関係があるようなことは全然記載されていない。また、右備忘録には右各番号・各義の信託が「ウカイ」のものであるとメモされているが、「ウカイ」という姓の者は日本全国に無数にあり、「ウカイ」というだけでは何ら特定的意味がないから、このことから右信託が原告の財産であるとはいえない。むしろ「ウカイ商店」は、原告が訴外鵜飼勇が使用した「鵜飼商店」と区別するために故非鉄金属の売買取引をする上で用いたものであって、銀行取引等の場合には全然「ウカイ商店」という名称を使用しなかったのであるから、前記「ウカイ」は右「ウカイ商店」とは無関係の者を指すものというべきである。銀行は慣習的に形式的届出主義に則って事務を行うのが実際の執務方法であり、備忘録は単なる個人の想像にすぎない。

(三) 被告主張の昭和三一年分指定金銭信託七二、〇〇〇、〇〇〇円に対する同三二年九月決算の収益金が一括して支払われたとしても、原告に支払われた事実はなく、右信託が帰属する訴外勇に対して支払われたものである。同三〇年分についても同様である。また右三一年分中前記銀行大池支店取次分の六二、〇〇〇、〇〇〇円に対する同三三年三月決算の収益金を領収したのは原告であるとの被告主張は否認する。

(四) 訴外鵜飼勇は非常な財産家である。例えば昭和二五年八月三一日から同二七年九月五日までの間に同訴外人が原告に貸付けた資金合計六〇、〇〇〇、〇〇〇円、商品二二、九〇〇、〇〇〇円総計八二、九〇〇、〇〇〇円にのぼり、原告が同人に対し同年九月三〇日から同二九年一二月三一日までの間に支払った元利金は総計八九、二五四、七六五円に達している。同人は、返済を受けた右元利金を上手に回転させ、被告主張の仮装名義預金等、右資金を流用充当したことが窺知される。

(五) 被告は中区元田町鵜飼商店は原告を指すものであり、被告主張の信託預金元金等明細書記載の「元田町鵜飼商店関係(鵜飼勇)」はその場所に重点を置いて読むべきであると主張するが、預金者は人であって場所ではないし、(鵜飼勇)と特定人の氏名が特記されているのである。

3. 通知預金および定期預金

(一) 都築幸造名義の通知預金

「ウカイ」という文字には特定性がなく原告を指すものではないし、訴外東海銀行瀬戸西支店長鈴木敏正は右通知預金が原告に帰属するとは述べていない。右通知預金は訴外鵜飼勇の所有である。

(二) 定期預金

被告主張の定期預金カードからは単に久野孝一外四口の定期預金五〇〇、〇〇〇円が存在することのみが認められ、右定期預金が原告の所有に属することを推定させるものは窺えない。また、訴外久野雄二名義の訴外三井銀行上前津支店貸金庫の使用者が鵜飼商店であるとの点は否認する。右定期預金は訴外鵜飼勇の所有である。

(三) 岡本三男外一九名名義の通知預金

被告主張の鵜飼商店関係推定定期預金明細書には、「鵜飼商店(鵜飼勇)」と特に記載されており、右定期預金(移行前通知預金)が原告のものではなく訴外鵜飼勇のものであることが明記されている。岡本三男外一九名名義の通知預金各一、〇〇〇、〇〇〇円があり、また、岡本三男、同繁、同鈴雄、同豊誠、同紀明名義の各二〇〇、〇〇〇円の定期預金があるとしても、右各預金が原告に帰属することはない。

一〇、売掛金について

訴外新美鋳造所は昭和二九年末当時営業していたが同三〇年中頃倒産廃業したので、原告の同人に対する売掛債権二、九六九、三三五円は、同年期末の所得計算上貸倒れとして損失に計上すべきものである。被告は原告が訴外恵美龍雄に債権譲渡しているから右債権は厳存する旨主張しているが、右譲渡は訴外新美秀吉に対する債権としては取立てできないから、対価を受けることなく無償譲渡したものである。そして、右恵美も右債権の取立はできなかったのであるから、かかる取立不能債権を原告の資産として所得額に算入するのは不当である。また同所閉鎖後右新美がコガネ製作所という名義で再び業務を再開したという被告主張事実は否認する。仮に右業務再開の事実があるとしても、わずか一年位で閉鎖するような業態では旧債について回収可能の事実が生じたものとはいえない。

一一、受取手形について

1. 原告否認の前記昭和三〇年分期末受取手形中の<60>ないし<91>、<100>ないし<104>(計三七通、別表八参照)、同昭和三一年分期末受取手形中の<21>、<111>ないし<114>(計五通、別表一五参照)の各受取手形は、いずれも原告に全然関係なく、各年末当時所持していなかったものである。

2. 原告否認の前記昭和三〇年分期首受取手形(計五四通、別表七参照)、同期末受取手形中の<29>、<105>ないし<110>、<117>、<137>、138、<192>(計一一通、別表八参照)および同昭和三一年分期末受取手形中の<1>ないし<20>、<22>ないし<110>(計一〇九通、別表一五参照)の各受取手形はいずれも、右各期首・期末前に原告が訴外鵜飼勇から割引を受け同人に譲渡(裏書)交付していた関係上、右各期首・期末にはもはや原告の手許になかったものである。

3. 被告主張の1仮名商店取引名義にかかる受取手形の帰属について(Bの形態に属するもの)の被告主張事実は否認する。

もっとも原告が昭和三〇年および同三一年中に訴外鵜飼勇から多数の手形割引金融を受けたが、その中の数通分については、偶々同人が手許資金の都合上原告に対し割引手形の買戻しを求め、原告がそれに応じたことがあって、その際の買戻し手形中に同人の勝手な取引による変名受取手形が少々混入していたことがあり、原告はこれらをも買戻割引手形中に含めたことがあった。

4. 同2、原告が訴外鵜飼勇より割引を受けた受取手形について(Cの形態に属するもの)の被告主張(一)中、同訴外人が手形割引をなしうる資金を有していなかったとの点を否認する。同人は約八千万円以上の現金・預金を有していた九、2(四))。

同(二)の主張中、原告帰属の仮名預金に取立入金されているとの点は否認する。また、前記3において原告が主張したと同じ事情があり、かかる極めて特殊の事情の下に鵜飼明名義の預金で取立てたものを一般的な事例として主張するのは妥当でない。

同(三)の主張については、被告主張の原告名義の普通預金勘定表記載の金額と別表二一とを照合すると、被告主張の銀行取立がなされているが、右別表記載の取引先は全部原告ウカイ商店大阪営業所の取引先であるから、それらの取引先から受取った約束手形(これらの手形は訴外勇から割引を受けたものではない。)を東海銀行古渡支店の原告普通預金口座を通じて原告が取立てたことは少しもおかしくない。

同(四)において被告が主張する手形は、前記原告主張八3(四)において述べたと同様、原告が昭和三〇年中に訴外丸江伸銅株式会社から受取り所持していたものであり、訴外鵜飼勇から割引を受けたものではないから、原告が裏書して取立入金するのは当然である。

同(五)については、前記3において述べたと同様の事情がある。また、訴外勇から手形割引を受けたからこそ、原告の裏書のための署名が存するのであって、手形の最終裏書と銀行取立てのための取立委任裏書とは峻別しなければならない。

同(六)については、被告主張の別表二三中の例一の<26>ないし<28>の手形三通金額合計金一、一〇〇、〇〇〇円は、訴外丸江伸銅株式会社が昭和二九年一〇月二八日および同年一一月五日振出した手形であるが、同社は銀行に信用がなく原告は銀行から割引を受けることができなかったので、同社の内情を熟知する訴外勇から割引を受けたところ、その後同三〇年三月に至り同社は原告に対して右手形三通の支払として、同社から原告に対する売掛金四〇七、二四六円、加工賃一四二、七五四円なる二口債権合計五五〇、〇〇〇円を相殺によって決済したい旨申入れてきた外、別に金額五五〇、〇〇〇円の小切手一通を持参したので、原告は訴外勇に右小切手と現金五五〇、〇〇〇円を交付して前記手形三通を買戻し、同社に右各手形を返済して決済した。訴外勇はその後同月二五日石田五郎の仮名をもって東海銀行古渡支店を通じて右小切手を取立てたようである。同例二の<44>、<45>の手形二通金額合計七〇七、四六〇円は、前記手形三通の場合と同様、原告が昭和二九年一二月三日訴外丸江伸銅株式会社から受取り、訴外勇から割引を受けた後、原告と同社との間の取引の結果、同社から原告に対して売掛金二四五、六一三円、加工賃五四、三八七円の債権合計三〇〇、〇〇〇円が生じたので、同社から同三〇年五月、前記七〇七、四六〇円の約束手形に対して、金額四〇七、四六〇円の小切手一通および右三〇〇、〇〇〇円について相殺による決済を申入れてきたので、原告は右小切手を預り、右小切手と現金三〇〇、〇〇〇円を訴外勇に交付して前記手形二通を買戻し、同手形二通を同社に返還し、三〇〇、〇〇〇円については相殺によって決済した。その後訴外勇は同年五月一六日加藤守一の仮名をもって東海銀行大池町支店を通じて右小切手を取立てたようである。

ところで原告は前記会社との間に原料販売と製品仕入の両取引が長年あり、同社からは約束手形・小切手を受取り、これらの取立も現金受払も長年月にわたって無数に行っている。手形や小切手の取立について、被告主張のような石田五郎、加藤守一等の仮名をわざわざ用いる必要も動機も原告にはない。

なお、被告主張の別表二二「照合表」については、前記八3(四)で述べたとおり同表掲記の手形はすべて原告自ら所持していたもので、訴外勇から割引を受けたものではない。

一二、買掛金について

昭和三〇年分期首買掛金中、訴外第一物産株式会社名古屋支店に対する買掛金五〇七、六一四円(別表九買掛金<2>)については、原告は昭和二九年四月三日同社より仕入れた輸入銅屑代金四、七六五、三七三円に関し、引渡を受けた右商品を検収したところ、契約所定の二号銅線と異なる銅粉が多量に混っていたため、数次の値引交渉の末同年一二月一日に至って代金残額一、〇〇七、六一四円につき、原告から同社に対し五〇〇、〇〇〇円を支払い、同社は残金五〇七、六一四円を債権放棄するという特約が成立し、原告は即日右五〇〇、〇〇〇円を支払ったものである。従って右買掛残金五〇七、六一四円という負債が昭和三〇年中に消滅したとの理由により、同額の所得が原告に存在したとする被告の主張は不当である。

一三、預金利子について

原告否認の前記各仮名預金の利子は原告の全然関知しないものである。

一四、在庫たな卸商品について

1. たな卸商品の種類等

(一) 被告が原告方在庫品は昭和二九年ないし三一年の各期末において各商品の銘柄と数量とが全く同一であるとして評価したのは不当である。商店経営上在庫品は前年度よりの繰越、当年度の仕入・販売と常に変動し、また、ある倉庫内に保管された商品でも自然損耗・盗難品・陳腐化商品等が必然的に発生するものであって、本件原告のごとき故非鉄金属売買を営む商店における在庫品の種類・数量の動きに基づく在庫商品現在高およびその内訳の変動は顕著に現われるところであるが、被告がこのような経験則に反して作成したたな卸商品評価調書をもって原告の所得計算の基礎とすることは不当である。

(二) 被告がその主張の根拠とする大蔵事務官原稔作成のたな卸商品評価調書の数量は、昭和三三年三月一八日以降の国税局員のたな卸に際し、一部分俵詰めにして検貫したこともあったが、他の部分につきばらのまま目づもりで量目を勝手に付して在庫高調書を作成したものである。例えば一叺当り平均幾キログラムであろうというあてずっぽうな方法や物差しで縦と横と高さを計って体積を出し幾立方メートルあるから幾キログラムであるという無責任な計量方法によってなしたものである。前者の方法は例えば元田町倉庫における真中棒地、真中ダライ粉、バツテリー鉛、銅線屑等についてなされ、これらは一叺の目方が大体幾キログラム入りであると仮定し、しかも綿密に叺の個数を数えることなく、いかにもくわしく調査したかのごとく装って二五三叺(真中棒地)という細かい数字をあてずっぽうに出したのである。後者の方法については例えば前記たな卸商品評価調書中、昭和二九年ないし三二年各一二月三一日現在各在庫品明細書にいずれも等しく記載されている真中ダライ粉・稍鉄砂混入・叺入およびばら三〇〇センチメートル×二一六センチメートル×二八〇センチメートル・一五、〇〇〇キログラム、同稍アルミ混入・叺入およびばら一八〇センチメートル×一九〇センチメートル×二八〇センチメートル・一二、〇〇〇キログラムと記載されているのが右方法に基づいたものである。そして、以上のごとき乱暴なたな卸は元田町倉庫のみならず岩井通倉庫でも行われ、被告主張の各在庫品明細書(別表一二、一九)が作成された。

(三) 右実地たな卸なるものは、形式的に書類のうえではいかにも完備したようにみえるが、その実質内容は無責任にして公平妥当性を無視したものである。被告は右たな卸の際一々原告らの確認を求めたとか、原告の申立てにより確認したというが、前記丸江伸銅分は別としてその他の分については、突然多勢の税務官が乗り込み脱税犯人呼ばわりし、納税者の精神が動てんしている虚につけ込み在庫品確認書等が作成されたもので、形式のみ納税者の申立てによって確認したにすぎず、要するに原告ら確認の右書類は、原告らの精神状態の異状な状況下において署名捺印させられたもので任意性がなく措信できないものである。

(四) 原告は昭和三二年中数回にわたって大阪市沢貞金属株式会社から別表二四記載の商品を仕入れたが、そのうち特号および一号または一号銅線は名古屋市中区岩井通一丁目二五番地訴外鵜飼勇所有(原告借用)の倉庫へ入庫し、またそのうち電気銅は商取引の都合上京都市丸江伸銅株式会社倉庫へ一時寄託した(原告方使用人鵜飼靖郎が運搬。なお同三三年夏頃返還された。)ものである。ところが被告主張の各在庫品明細書(および同一内容のたな卸商品評価調書、在庫品確認書)では、同三三年三月一八日名古屋国税局員が実地たな卸をした際、これらの商品が存在していたところから、同二九年一二月末にも、同三〇年末、同三一年末にもそれぞれ在庫していたとし、その評価額を資産増減計算の基礎として原告の所得計算を行っているのは不当である。なお、後記2(一)で述べるように、前記別表二四記載の「たな卸商品評価調書による価格増減額」に示した数字即ち一六、〇五二、〇六七円(昭和三〇年末)-一〇、〇四九、三九二円(同二九年末)-六、〇〇二、六七五円は正しく同三〇年における架空所得を示したものであり、一八、八九一、〇五〇円(同三一年末)-一六、〇五二、〇六七円(同三〇年末)-二、八三八、九八三円は同三一年における架空所得を示したものであって、右両年度架空所得は合計八、八四一、六五七円の巨額にのぼる。右のような同三二年に入って後に原告が仕入れた商品につき、同三〇年・三一年中に値上り益を生じたとなし、原告の所得中に繰入れるのは不当である。

2. たな卸商品の評価について

(一) 仮に右1の主張が容れられないとしても、被告は原告方在庫品につき架空利益を混入させている。そもそも資産評価益額を所得として算入してはならないのである。被告主張の在庫品明細書、たな卸商品評価調書によれば、昭和二九年より同三二年に至る四ケ年間の各期末の原告方在庫商品評価額は次のとおりである。

昭和二九年一二月三一日現在 五七、一五〇、〇四一円

同 三〇年 同 日 現在 九八、二七三、六四三円

同 三一年 同 日 現在 一〇六、一〇四、一九五円

同 三二年 同 日 現在 四八、二八五、九三一円

すなわち、昭和二九年期末現在の原告方手持商品評価額に比較して、同三〇年期末現在の同一商品の評価額は四一、一二三、六〇二円増加し、同三一年期末は前年期末に対し七、八三〇、五五二円増加しているに反し、同三二年期末は前年期末に対し五七、八一八、二六四円が減少し、右三二年期末を右二九年期末と比較すれば、八、八六四、一一〇円の減少を示し、同三〇年、三一年両年分の在庫商品の値上り益は全部帳消しになり、かえって右八八六万余円という同二九年期末現在のたな卸商品総額の約一割五分に相当する値下り損を来たしている。このことは前記値上り益が架空利益であることを示すものである。被告の主張は一〇年の間にわずかに一年か二年のみの相場の暴騰期間についてのみ着眼し、右架空利益を対象として課税するものであり不当である。青色申告者には損金の三年間繰延べおよび一年間繰戻しという制度があってこのような不都合を救済しているが、原告のような白色申告者には右救済方法がないから、本件のように三年間通算すれば最後には商品値下り損失が八八六万余円という大きい数字を示す場合でも前述したように昭和三〇年分四一、一二三、六〇二円、同三一年分七、八三〇、五五二円に対し課税するという不当な結果をみる。

(二) 被告作成の在庫品各項目下在庫品明細書、たな卸商品評価調書を見ると次の品目についてはいずれも単位および金額について全然価格調査が行われていない。

イ 名古屋市中区元田町三丁目二六番地保管分銅線屑一四八キログラム、サナ下コークス七、八〇〇キログラム、掃留滓七、〇〇〇キログラム、鉄屑一〇〇キログラム、鉄信管一五〇キログラム

ロ 同区岩井通一丁目二五番地鵜飼勇宅保管分銅滓約一五、〇〇〇キログラム、銅滓ガラ約一、〇〇〇キログラム

合計(イ+ロ)約三一、一九八キログラム

以上商品の単位が空白というような状態の存する在庫表はそれ自体到底信用し難いものというべきである。

第三、証拠

(原告)

甲第一ないし第四号証の各一、二、同第五号証、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一、二、同第九、第一〇号証、同第一一、第一二号証の各一、二、同第一三号証の一ないし八、同号証の九ないし一八の各一、二、同第一四ないし第二三号証、同第二四号証の一、二、同第二五、第二六号証、同第二七号証の一、二、同第二八、第二九号証、同第三〇、第三一号証の各一、二、同第三二ないし第四一号証、同第四二号証の一、二、同第四三号証の一ないし一〇、同第四四号証の一ないし六七、同第四五号証の一ないし八、同第四六、第四七号証の各一、二、同第四八号証、同第四九号証の一ないし三、同第五〇号証、同第五一号証の一、二、同第五二号証、同第五三、第五四号証の各一ないし三、同第五五号証の一ないし六、同第五六号証(以上昭和三四年(行)第一三号事件提出分)および同第一ないし第三号証の各一、二、同第四号証、同第五、第六号証の各一、二、同第七ないし第九号証、同第一〇号証の一、二(以上同四二年(行ウ)第五七号事件提出分)を各提出し、証人安藤英雄、同水谷信三、同鈴木敏正、同鈴木哲、同福島二郎、同榊原福三、同鬼頭雲集、同鬼頭晴彦、同鵜飼幸二(一、二回)、同鵜飼靖郎、同沢田精二、同佐々木貞治、同鵜飼憲一(一、二回)、同鵜飼勇の各証言および原告本人尋問の結果を各援用し、乙第一号証、同第一四号証の二、三、同第二九号証の一ないし一〇、同第三〇ないし第三六号証、同第三八ないし第四二号証、同第四四号証、同第四六ないし第四九号証、同第五一、第五二号証、同第五六号証の一ないし一四、同第五九ないし第七一号証、同第七四号証の一ないし三、同第七六号証、同第八一ないし第九〇号証、同第九二、第九四、第九五、第一〇二、第一〇三、第一〇六、第一一五、第一一六、第一一九、第一二〇、第一二六、第一二七号証、同第一三〇ないし第一三九号証、同第一四一ないし第一四三号証、同第一四五号証の一ないし四、同第一四六、第一四七号証(以上第一三号事件提出分)および同第一号証、同第二号証の一、二(以上第五七号事件提出分)の各成立を認め、同第九六ないし第九八号証、同第一〇七ないし第一一四号証、同第一一七、第一一八号証、同第一二一号証の一、二、同第一二二号証の一ないし七および同第一二三号証の一ないし三(以上第一三号事件提出分)の各成立を否認するほか、その余の乙各号証(第一三号事件提出分)の成立は不知である。

(被告ら)

乙第一ないし第一三号証、同第一四号証の一ないし三、同第一五ないし第一七号証、同第一八号証の一ないし二二、同第一九ないし第二八号証、同第二九号証の一ないし一〇、同第三〇ないし第五五号証、同第五六号証の一ないし一四、同第五七ないし第七三号証、同第七四号証の一ないし三、同第七五号証の一ないし六五、同第七六ないし第一二〇号証、同第一二一号証の一、二、同第一二二号証の一ないし七、同第一二三号証の一ないし三、同第一二四ないし第一四四号証、同第一四五号証の一ないし四、同第一四六、第一四七号証(以上第一三号事件提出分)および同第一号証、同第二号証の一、二(以上第五七号事件提出分)を各提出し、証人原稔、同松井清、同大野敏夫および同市川朋生の各証言を各援用し、甲第一ないし第四号証の各一、二、同第五号証、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一、二、同第一二号証の一、二、同第一四ないし第二三号証、同第二四号証の一、二、同第二五、第二六号証、同第二七号証の一、二、同第二八、第二九号証、同第三〇、第三一号証の各一、二、同第三二ないし第四一号証、同第四六、第四七号証の各一、二、同第四八号証、同第四九号証の一、二、第五〇号証、同第五一号証の一、二、同第五二号証、同第五三、第五四号証の各一ないし三、同第五六号証(以上第一三号事件提出分)および同第一ないし第三号証の各一、二、同第四号証、同第五、第六号証の各一、二、同第七号証、同第一〇号証の一、二(以上第五七号事件提出分)の各成立を認めるほか、その余の甲各号証(右両事件提出分)の成立は不知である。

理由

一、原告主張の経緯で本件各再更正処分および再更正処分の一部取消裁決がなされたことは当事者間に争いがない。

二、原告の事業の実態等

1. 原告が終戦後昭和二一年ころから名古屋市中川区笈瀬町二丁目一三番地において故非鉄金属(古銅・古真鍮等)販売(問屋)業を営み、本件係争年(昭和三〇、三一年)当時同所のほか同市中区岩井通一丁目二五番地訴外鵜飼勇(原告の次兄、以下単に訴外勇という。)方、同区元田町三丁目二六番地訴外鵜飼憲一(原告の長兄、以下単に訴外憲一という。)方および大阪市東成区大今里南之町三丁目所在建物にそれぞれ営業所・倉庫を設け、個人で前記事業を営んでいたことは当事者間に争がない。

2. そこで判断するに、成立に争いのない甲第三二、第四八号証、乙第一三三ないし第一三六号証、第一四五号証の一ないし四、第一四六、第一四七号証、その方式および趣旨により成立の真正を認めることができる乙第九六ないし第九八号証、同第一〇七、第一一七号証に証人鵜飼幸二(一回)、同鵜飼憲一(一回)、同鵜飼勇の各証言、原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は昭和一三年ころ名古屋市中区東川端町二丁目で故非鉄金属販売業を開業し、同一六年応召等で中断した後、同二一年ころ前記笈瀬町で事業を再開する一方昭和二三年ころ、訴外勇が既に原告と同種の故非鉄金属販売(問屋)業を営んでいた名古屋市中区西古渡町三丁目二〇番地所在の同人方営業所・倉庫北隣りに、新たに別個の営業所・倉庫(同番地所在)を設けたこと、事業拡張に伴い手狭まになったため、同二六、七年ころ前記元田町の訴外憲一方を借用して営業所・倉庫を設け、以後右憲一方を以て営業の本拠としたこと、原告の従業員は同二九年ないし三一年ころは訴外憲一、同鵜飼靖郎(訴外憲一の息子)、同鵜飼克祐(同)、富田音吉(姉婿)外数名を使用していたこと、訴外勇は名古屋市都市計画事業のため同所を立退かざるをえなくなったことから昭和二七年ころ、前記岩井通に家屋を買い求め、改築して同所に営業所・倉庫を移転したが、その際右西古渡町所在倉庫内の商品の大部分を原告に譲渡したこと、またそのころ、勇は健康がすぐれず、昭和二八年ごろ故非鉄金属販売業を廃止したこと、もともと印刷業を営んでいた訴外憲一は元田町所在営業所・倉庫において戦後故非鉄金属販売業を始めたが病弱のため昭和二六、七年ころ原告に対し右倉庫を譲渡し右営業所を貸与し廃業するに至ったこと、原告は昭和二八、九年ころ以来訴外勇から前記岩井通所在倉庫を借用し商品を置いていたこと、原告および訴外勇の前記西古渡町所在の建物等は昭和二八年九月一三日までには撤去されたのでそのころ以降同所における原告の営業は廃止されたこと、訴外勇、憲一らは原告とは別にそれぞれ独立して事業を営んでいたが、前記事業廃止後は原告事業であるウカイ商店を手伝い、原告のため取引、銀行関係の折衝に当るなどして原告を補佐していたこと、等の各事実を認めることができる。

3. 訴外勇が係争年当時まで訴外丸江伸銅株式会社との間で故非鉄金属の販売または仲立を継続していたとする証人鵜飼勇の証言および原告本人尋問の結果は措信できず、また原告が訴外憲一、同勇と前記事業を共同経営し、かつ、右事業を主宰していたとの被告主張に沿う成立に争いのない乙第一三四号証、その方式および趣旨により成立の真正を認めることができる乙第九六ないし第九八号証、同第一〇七号証、証人原稔の証言は、成立に争いない甲第三二号証、方式および趣旨により成立の真正を認めることができる乙第一一七号証、証人鵜飼勇の証言に照らしにわかに措信しがたく、他に右主張事実を認めさせるにたりる適切な証拠はない。

三、さて、原告において、確定申告にかかる所得金額の計算の基礎となる諸帳簿(商法三二条参照)を具備していたことを認めさせるにたりる証拠はなく、証人原稔の証言、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告作成の昭和三〇年分ウカイ商店売上帳(乙第二九号証の一)、同三一年分同商店売上帳(乙第五六号証の一)は本件処分当時存在しなかったことを認めることができる。なお、原告主張の手帳、雑記帳が帳簿といえないことは明らかである。

従って、被告において原告の所得金額の実額を把握し計算することはできない状況にあったものであるから、右金額を推計により計算したことは許容すべきである。

ところで所得金額の推計による計算方法については、被告主張の資産負債増減法、原告主張の損益法等があり、そのいずれの方法によるも算定される所得金額が同一であることは一般に是認されているところで、所得税法上計算方法がいずれかに限定されているものではない。

しかしながら、右損益法を採る場合、その基礎として仕入額を算定する必要があるところ、本件においては仕入帳等の帳簿類が不備であるから、右損益法を採ることは困難である。

而して被告は資産負債増減法により、本件係争年の各期首と各期末の財産状態を比較し、かつ、その増減額から事業所得以外の利子・配当所得を控除して所得額を算出するものであるから、右方法は所得税法上適法な方法というべきである。

被告主張の各係争年の資産負債増減計算の算定根拠中、資産項目の昭和三一年分売掛金・両年分有価証券、除算所得項目の両年分配当金、加算所得項目の両年分否認公租公課・家計費については当事者間に争いがないので、以下、争いのあるその他の各項目につき順次判断する(別表一、二参照)。

四、預金

1. 昭和三〇年分期首銀行預金中別表三の<2>、<4>、<6>を除くその余の各普通預金、同期末銀行預金中別表四のA普通預金のうち<2>、<3>、<4>、<6>、<9>、<10>、<12>、<14>、<16>、<17>、<19>を除くその余の各預金、昭和三一年分銀行預金中普通預金がそれぞれ原告の預金であることは当事者間に争いがない。

2. 普通預金

(一)  石田五郎名義普通預金(別表三<2>)

ウカイ商店即ち原告は訴外三越金属工業株式会社から売掛代金の回収として昭和二九年一二月二九日、金額一、二九八、一四三円支払期日同三〇年四月二九日とする約束手形を受取ったこと、右手形については右支払期日に訴外東海銀行古渡支店に対し石田五郎名義で取立て依頼があり、前記金額が右支払期日の翌日である同月三〇日に同行同名義普通預金口座へ入金されていること、同口座には継続的に預金が預入され同三〇年期首の残高は一四〇、九七〇円であること、右石田五郎名義は仮名であることはそれぞれ当事者間に争がない。

而してこれらの事実よりすれば前記約束手形につき仮名の石田五郎名義で取立て依頼をなしたのは原告であると推認することができ、従って同名義普通預金口座への前記入金さらには同口座への継続的な預入はすべて原告に帰属するものということができるから、石田五郎名義の普通預金(同年期首残高一四〇、九七〇円)は原告に帰属する。

ところで、原告は、資金繰りの関係で訴外勇に割引のため右手形を裏書譲渡し、同訴外人が右仮名により取立て右仮名普通預金に預入した旨主張し、右主張に沿う証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果があるが、右証言等は単に抽象的に訴外勇に手形割引のため譲渡したと述べるだけで具体性を欠き、また、これを裏付ける証拠はないからたやすく措信できず、他に右主張事実を認めさせる適切な証拠はないから、右主張は採用できない。

(二)  横井一友(別表三<4>)、小川良雄(同<6>)、竹田重太郎(同四A<6>)、秋田利久(同<16>)、山田信夫(同<17>)各名義普通預金

前記(一)石田名義の場合と同様、ウカイ商店即ち原告は後記一覧表記載の各訴外会社から売掛代金の支払のため、同表受取日欄記載の日に同表記載の各約束手形を受取ったこと、右各約束手形については各支払期日に、同表記載のとおり各銀行支店に対し各取立名義でそれぞれ取立て依頼があり、各名義普通預金口座へそれぞれ入金されていること、右各口座にはそれぞれ継続的に預金が預入され昭和三〇年期首または期末の残高は同表記載のとおりであること、右各名義はいずれも仮名であることはそれぞれ当事者間に争がない。従って、前記各約束手形につき、仮名の右各名義で取立て依頼をなしたのは原告であると推認することができ、右各名義普通預金口座への前記各入金さらには右各口座への継続的な各預入はすべて原告に帰属するものということができるから、前記各名義の普通預金(同年期首または期末の各預金残高は後記一覧表記載のとおり)はいずれも原告に帰属する。右に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果は前記(一)に記載と同様の理由により措信できない。

一覧表

<省略>

(三)  秋田勝彦名義普通預金(別表四A<2>)

訴外丸江伸銅株式会社は河合商店に対する買掛金の一部について、昭和三〇年八月二二日、金額五〇〇、〇〇〇円支払期日同年一二月六日とする約束手形により支払ったところ、右手形は右支払期日に訴外東海銀行大池町支店に対し秋田勝彦名義で取立て依頼があり、前記金額は同月八日、同行同名義普通預金口座へ入金されていること、同口座には預金が継続的に預入され同三〇年期首の残高は一〇一、七〇〇円であること、右河合商店は実在しない架空の商店(別表二〇参照)であり、右秋田勝彦は仮名であることはそれぞれ原告において明らかに争わないところである。

ところで、後記六1(一)の認定事実によれば、右架空の河合商店はウカイ商店即ち原告をさすことが明らかであるので、右約束手形により支払いを受けたのはウカイ商店即ち原告であり、仮名の秋田勝彦名義で取立て依頼をなしたのも原告であると推認できる。従って同名義普通預金口座への前記入金および同口座への継続的な預金はすべて原告に帰属するものというべく、秋田勝彦名義の普通預金(同年期末残高一〇一、七〇〇円)は原告に帰属する。右認定に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果はにわかに措信しがたく、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。

(四)  林田正直(別表四A<3>)、藤田晃(同<4>)、水谷喜一(同<9>)、山森隆(同<10>)、林重信(同<12>)、加藤竜太郎(同<14>)、吉田一正(同<19>)各名義普通預金

後記一覧表記載の各訴外会社が同表受取人欄記載各商店に対する買掛金の一部を同表記載のとおり各約束手形により支払い、右各手形については各支払期日に同表記載のとおり各銀行支店に対し各取立名義でそれぞれ取立て依頼があり、各手形金額が同表入金日欄記載の日に各名義普通預金口座へ入金されていること、右各口座には預金が継続的に預入され同三〇年期末の残高は同表記載のとおりであること、右各商店は実在しない架空の商店(別表二〇参照)であり、また、右各預金名義はいずれも仮名であることはそれぞれ原告において明らかに争わないところである。

ところで、後記六1(一)ないし(三)の認定事実によれば、訴外丸江伸銅、三越金属工業、愛知伸銅各株式会社と右各架空商店との取引および右取引による受取手形がウカイ商店即ち原告に帰属することが明らかであるので、右各約束手形により支払いを受けたのはウカイ商店即ち原告であり、仮名の右各名義で取立て依頼をなしたのも原告であると推認できる。従って右各名義普通預金口座への前記各入金さらには右各口座への継続的な各預入はすべて原告に帰属するものというべく、前記各名義の普通預金(同年期末の各預金残高は後記一覧表記載のとおり)はいずれも原告に帰属する。右認定に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果はにわかに措信しがたく、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。

一覧表

<省略>

3. 指定金銭信託

(一)  東海銀行(信託部)の指定金銭信託合計一〇、〇〇〇、〇〇〇円(別表一三4指定金銭信託<568>ないし<666>)および指定金銭信託合計九七、〇〇〇、〇〇〇円(同<1>ないし<567>、別表四C指定金銭信託<1>ないし<35>)の各預入のなされていること、同行が被告主張のころ右各指定金銭信託に対する収益金を一括して支払ったことは格別当事者間に争がない。

(二)  被告は右各指定金銭信託(以下、本件信託という。)は原告が預け入れたものであると主張し、原告はこれを争うので、以下この点につき判断する。

証人鬼頭晴彦の証言により、成立の真正を認めることができる乙第一四号証の一、成立に争ない同号証の二、三各末尾に右各明細書は元田町鵜飼商店関係(鵜飼勇)のものと思いますとの記載があること、また証人安藤英雄の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第九一号証(同人作成のメモ)、同福島二郎の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第九三号証(同人作成の備忘録)、同原稔の証言によれば、右メモ、備忘録は仮名指定金銭信託の真実の信託者を銀行員が把握するために作成されるものであるところ、右メモには鵜飼宏一(鵜飼明)との記載の下に右指定金銭信託の名義番号および金額が記載されていること、東海銀行大池町支店次長福島二郎作成の右備忘録中ウカイ欄に別表一三4<1>ないし<6>同<7>ないし<567>名義合計五六、〇〇〇、〇〇〇円に相当する指定金銭信託の名義番号が記載されているほか、別表四C<1>ないし<35>名義合計三五、〇〇〇、〇〇〇円に相当する指定金銭信託の名義番号が記載されていること等の事実を認めることができる。而して証人大野敏夫の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第一二五号証によれば、本件係争年当時原告は「ウカイ商店鵜飼明」名義により訴外東海銀行本店と取引をなしていたとの記載があること、また成立に争ない乙第九二号証、証人松井清の証言により成立の真正を認めることができる乙第一〇八号証、同証人、証人安藤英雄の各供述によれば訴外安藤英雄は昭和二六年三月より同三〇年一一月ころまで東海銀行大池町支店長代理であったが、その間二、三回原告の営業所である中区元田町鵜飼商店を訪ね預金を勧誘したこともあり、前記一〇、〇〇〇、〇〇〇円の指定金銭信託は、同三一年四月ころ当時同行大須支店に勤務中の右安藤を通じ、同行信託部に対し元田町鵜飼商店よりの信託として預入れがなされたものであることを認めることができる。而して以上認定事実に弁論の全趣旨を併せ考えると前記各指定金銭信託は元田町ウカイ商店即ち原告に帰属するということができる。

原告は右信託はすべて鵜飼勇に帰属するものであると主張する。而して証人安藤英雄、同福島二郎の供述により、右金銭信託は訴外勇が来行し、面談交渉の上なされたものであると認めることができるけれども、前記二23において認定したとおり、同人は昭和二七、八年ごろ既に故非鉄金属販売業を廃業し、その後原告の手伝をしていたものであるから、同訴外人は原告の使用人または代理人として本件信託預入の任に当ったものと考えるのが相当であって、右各供述部分は先の認定を覆すにたりるものではない。また前顕乙第九七号証、第九八号証のうち、同訴外人が原告の事業に関する現金・預金の出入に全く関与しなかったとする部分は前記認定の事実に照らし措信できないし、また、七二、〇〇〇、〇〇〇円相当の金銭信託は訴外勇に帰属するとの記載のある成立に争ない甲第三二号証、同第四八号証、乙第一三三号証および、右認定に反する証人鵜飼勇、同鵜飼幸二(第一、二回)、原告本人の各供述は措信できず、その他右認定事実を左右するにたりる適切な証拠はない。

4. 通知預金

(一)  都築幸造名義通知預金

(1)  被告主張の各通知預金合計六、二〇〇、〇〇〇円(別表四B通知預金<1>ないし<3>)が訴外東海銀行大池町支店に都築幸造名義により新規契約がなされたことは格別当事者間に争いがない。

(2)  そこで判断するに、成立に争ない乙第一〇二号証、証人松井清の証言により成立の真正を認めることができる乙第一八号証の二、証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第九九号証、同証人の証言に弁論の全趣旨を併せ考えると、右乙第九九号証(雑記帳)は仮名預金の真実の所有者を同銀行員が把握するために作成されるもので、同雑記帳には右都築幸造名義による各通知預金が「ウカイ」のものであるとの記載を認めることができること、および右ウカイはウカイ商店即ち原告を指すものであると認めることができる。もっとも、右乙第一〇二号証によれば、同銀行同支店次長鈴木敏正が同雑記帳記載のウカイは鵜飼商店鵜飼即ち預金のため来店した鵜飼勇を指すとの記載があり、また証人鈴木敏正の証言によれば、同人は原告と面識がないことを認めることができるけれども、前記3(二)で認定したとおり、同訴外人は原告の代理人または使用人として原告の依頼をうけて右各通知預金預入の任に当ったものと考えるのが相当であり、右各証拠は未だ右認定事実を覆すにたりないし、また右認定に反する証人鵜飼勇の証言および原告本人尋問の結果は措信しがたい。

従って、右都築幸造名義通知預金は原告に帰属するということができる。

(二)  岡本三男外一九名名義通知預金

(1)  成立に争ない乙第一〇二号証、同第一〇三号証、証人原稔の証言により成立の真正を認めることができる乙第九九号証、同第一〇四号証および同第一〇五号証に同証人の証言によれば訴外東海銀行大池町支店長榊原福三らが作成した鵜飼商店関係推定定期預金明細書(乙第一〇三号証)中、武川一男外二〇口合計二〇、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金は鵜飼商店である原告の預金であって、当初通知預金として契約され、その後定期預金に移行したものであるが、原告の強い要望により、右定期預金の利息計算の起算日を右当初通知預金の契約日とする特別の取扱いがなされたものであって、右定期預金となる前は岡本三男外一九名名義合計二〇、〇〇〇、〇〇〇円の通知預金(別表一三2通知預金<1>ないし<20>)に該当するものであることを認めることができる。従って右移行前の岡本三男外一九名名義合計二〇、〇〇〇、〇〇〇円の通知預金は原告に帰属する。

(2)  ところで右乙第一〇三号証には鵜飼商店(鵜飼勇)関係推定定期預金明細書との記載があり、また、証人鈴木敏正、同榊原福二、同鬼頭雲集の各証言によれば、前記東海銀行大池町支店との前記定期預金、各通知預金預入の交渉等の相手方となったのは訴外鵜飼勇であることを認めることができるけれども、前記3指定金銭信託(二)において認定したと同様に、同訴外人は原告の代理人または使用人としての立場で原告の依頼のもとに、右定期預金・各通知預金預入の任に当ったものと考えるのが相当であるから、右事実の存在は前記認定を左右するものでなく、また右認定に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果はにわかに措信しがたい。

5. 定期預金

(一)  訴外三井銀行上前津支店作成の久野雄二名義定期預金カード記載の定期預金五〇〇、〇〇〇円(別表一三3定期預金<1>ないし<5>)について、同カード備考欄に久野孝一外四口と記載されていることは格別当事者間に争いがない。

(二)  証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第一〇一号証、同証人の証言によれば、前記支店には前記久野雄二名義の貸金庫があり、その開閉は訴外横地辰三郎または同鵜飼憲一等がなし、その開閉記録書類には、鵜飼の印鑑が使用されていたこと、右貸金庫は預金等がなければ借用できないことをそれぞれ認めることができる。

ところで被告は右貸金庫の使用者は鵜飼商店であり、従って前記定期預金は原告に帰属する旨主張するけれども、右認定事実から直ちに右貸金庫が鵜飼商店たる原告使用のものと速断することはできないし、その他右被告主張を認めさせるにたりる適切な証拠はないから右主張は肯認できない。

五、売掛金

1. 新美鋳造所に対する売掛金債権(別表五<17>、同六<16>)

(一)  原告経営のウカイ商店が訴外新美秀吉経営の新美鋳造所に対し昭和三〇年期首現在二、九六九、三三五円の売掛金債権を有していたこと、その後同三一年一〇月原告は右債権を訴外恵美龍雄へ譲渡したことは当事者間に格別争がない。

(二)  証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第三七号証、同証人の証言、原告本人尋問の結果によれば、訴外新美秀吉経営(砲金鋳造業)の新美鋳造所は昭和二九年九月頃閉鎖されたが、同一〇月より同三一年一〇月まで同訴外人はコガネ金属製作所名で右鋳造業を続け同二九年一二月ころまでウカイ商店と取引があったこと、前記債権譲渡は、右新美鋳造所即ち訴外新美秀吉に対し債務を負担する訴外シンメイ鋳造が訴外新美に対する債権を取得して相殺決済する必要から、訴外恵美龍雄をして原告から前記債権を三〇万円で取得せしめたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、前記債権譲渡前である同三〇年期首・期末現在における前記売掛金債権は未だ取立不能が明確になったとはいえず、なおその取立回収については流動的であったということができる。

従って、原告が昭和三〇年期首・期末、前記売掛金債権を有していたとする被告主張は肯認することができる。

2. その他の売掛金(別表五<1>ないし<16>、同六<1>ないし<15>)

成立に争いのない乙第二九号証の二ないし一〇、同第三〇ないし三六、同三八ないし四二号証によれば、原告経営のウカイ商店が昭和三〇年期首に訴外丸江伸銅株式会社外一五の会社等に対し各売掛金残高を有していたこと(別表五<1>ないし<16>)、同年期末に訴外三井金属工業株式会社外一四の会社等に対し各売掛金残高を有していたこと(同六<1>ないし<15>)をそれぞれ認めることができ、右認定に反する証拠はない。

従って、原告が昭和三〇年期首または期末に右各売掛金残高を有していたとする被告主張は首肯できる。

六、受取手形

1. 仮名商店取引名義にかかる受取手形の帰属

(一)  訴外丸江伸銅株式会社関係(別表八<60>ないし<91>、同一五<21>)

成立に争いのない乙第八一、第八二号証、証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる同乙第五三、同五八、同七七、同七八号証、証人佐々木貞治の証言によれば、訴外丸江伸銅株式会社は昭和二四、五年ころから、営業部長西原恒次郎、営業部員佐々木貞治を通してウカイ商店または鵜飼商店と取引を始め、係争年当時元田町のウカイ商店と取引を継続していたが、そのころ売買取引(仕入)においては同商店からの伝票(納品書)には同商店ではなく他の仮名の商店(別表二〇、河合商店、田中商店、森本商店、山本金属商会、滝田商店、土屋商店、岩井商店、伊藤商店、稲葉金属商事等)が記載され、よって、訴外会社は右各仮名商店名義により仕入帳・買掛金元帳を作成し、右各取引の決済は右各仮名商店名義宛の支払手形によってなされ、別表八<60>ないし<91>、同一五<21>の各約束手形もかかる支払手形であること、ウカイ商店との取引交渉等においては、もっぱら原告を相手方ないし取引の決定権者として折衝し契約していたこと、また訴外会社はそのころ仮名取引をなしていた商店等は他になかったこと、をそれぞれ認めることができる。

ところで、訴外会社の前記土屋商店に対する振出小切手(昭和三〇年一二月一五日付)金額五、三一四円が同月二一日北海道拓殖銀行名古屋支店の原告鵜飼明名義普通預金口座に入金されている事実、訴外会社とウカイ商店名義による取引にかかる各受取手形につき右口座に入金されている事実(別表二二)は当事者間に争がないところ、前記支払手形の取立入金状況を検討すると、前掲乙第五三号証、その方式および趣旨により成立の真正を認めることができる乙第一二一号証の一、二、証人原稔の証言によれば、前記支払手形中別表八<63>前記土屋商店宛約束手形は訴外東海銀行大須支店において原告により取立入金されていることを認めることができる。

また、前掲乙第五三号証、同第一二一号証の一、二、証人松井清の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第二三号証によれば、前記支払手形中別表八<60>ないし<62>、<64>ないし<69>の前記土屋商店宛約束手形はすべて静岡銀行名古屋支店林増雄名義普通預金口座へ取立入金されていることを認めることができ、右林名義預金は前記四2普通預金において認定した原告帰属の各仮名普通預金の場合と同様原告の仮名普通預金であるということができる。

以上の各認定に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果は措信できず、他に右各認定を覆すにたりる証拠はない。

以上の各事実を総合勘案すれば、原告において前記仮名取引を行い、それにより前記支払手形を取得したものと推認することができるから、訴外会社の前記土屋商店宛支払の約束手形(別表八<60>ないし<69>)、同森本商店宛約束手形(同<70>ないし<72>)、同岩井商店宛約束手形(同<73>ないし<78>)、同伊藤商店宛約束手形(同<79>ないし<85>)、同滝田商店宛約束手形(同<86>ないし<91>)、同稲葉金属商事宛約束手形(別表一五<21>)の各約束手形(その存在および金額については格別当事者間に争がない。)はすべてウカイ商店即ち原告に帰属するものというべきである。

(二)  訴外三越金属工業株式会社関係(別表八<100>ないし<104>)

成立に争いのない乙第八三、第八四号証、証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第五四、同五五、同七九、同一二八号証によれば、訴外三越金属工業株式会社は昭和二四年ころから、大阪営業所仕入販売主任蒲田三郎、所員浜井清一らを通して笈瀬町鵜飼商店・西古渡町ウカイ商店と取引を行い、その後右ウカイ商店が元田町に移転した後、係争年当時も引き続き右元田町ウカイ商店と取引を継続していたが、そのころの売買取引においてはウカイ商店の鵜飼勇または原告から取引の都度訴外会社の仕入先を仮名の商店とするよう要求され、同社はそれに応じて仮名商店(別表二〇林商店、飯田金属商会、石橋商店、水谷商店、内藤商店、北本商店、松田商店、吉沢商店等)を使用して仕入帳・買掛金元帳を作成し、右各取引の決済は右各仮名商店名義宛の支払手形によってなされ、別表八<100>ないし<104>の各約束手形はかかる支払手形であること、ウカイ商店との取引交渉等においては、原告自ら交渉に臨む外訴外勇が折衝することがあっても、その場合殆んど原告が同席して交渉に加わっていたこと、および右訴外会社は係争年当時仮名取引をなしたのはウカイ商店だけであったことをそれぞれ認めることができる。

また、前記各支払手形の取立入金状況を検討すると、証人大野敏夫の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第二号証、同松井清の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第二二、同第二七、同第二八号証、同原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第一二号証によれば、前記支払手形中別表八<100>の前記内藤商店宛約束手形は東海銀行袋町支店千田正利名義普通預金口座、同<101>の前記松田商店宛約束手形は大垣共立銀行名古屋支店横井一友名義普通預金口座、同<102>の前記北本商店宛約束手形は東海銀行大池町支店吉川忠男名義普通預金口座、同<103>の前記吉沢商店宛約束手形は日本勧業銀行名古屋支店吉田一正名義普通預金口座、同<104>の同商店宛約束手形は協和銀行八熊支店滝田次郎名義普通預金口座へそれぞれ取立入金されていることを認めることができ、右横井、吉田各名義普通預金は前記四2普通預金において認定したとおり原告帰属の仮名普通預金であり、また、右千田、吉川、滝田各名義普通預金は、証人原稔の証言によれば前記(一)において認定したと同様原告の仮名預金であることを認めることができる。

以上の各認定に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果は措信できず、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。

以上の各事実を総合勘案すれば、原告において前記仮名取引を行い、それにより前記支払手形を取得したものと推認することができるから、訴外会社の前記各商店宛約束手形(別表八<100>ないし<104>)はウカイ商店即ち原告に帰属するものというべきである。

(三)  訴外愛知伸銅株式会社関係(別表一五<111>ないし<114>)

成立に争いのない乙第八五、八六号証、証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第七二、第七三、第八〇号証によれば、訴外愛知伸銅株式会社は昭和二四、五年ころから、常務取締役鈴木為三郎を通して元田町の鵜飼商店またはウカイ商店と取引を始め、係争年当時も取引を継続していたが、そのころの売買取引(仕入)においては同商店からの納品書、訴外会社倉庫係作成の原料受入報告書には同商店ではなく他の仮名の商店(別表二〇宮崎商店、杉原商店、沢井商店、浜田商店、藤竹商店等)が記載され、それに基づき前記鈴木は右各仮名商店名義により仕入帳・原料買入簿を作成し、右取引の決済は右各仮名商店名義宛の支払手形によってなされ、別表一五<111>ないし<114>の各約束手形はかかる支払手形であること、鵜飼商店またはウカイ商店との取引交渉等においてはほとんど原告鵜飼明を相手方として商談を決定し、かつ同人に対し前記支払手形を渡していたこと、他にも仮名取引をなした商店が存在したが、前記仮名商店を使用したのは鵜飼商店またはウカイ商店だけであったことをそれぞれ認めることができる。ところで、前記二において認定したとおり、名古屋市中区元田町の訴外憲一方に営業所を設置して営業していたのは原告であるから、訴外会社の取引の相手方は原告であるというべきである。

また、前記各支払手形の取立入金状況を検討すると、成立に争ない乙第一二六号証および証人原稔の証言によれば、前記支払手形中別表一五<111>の前記宮崎商店宛約束手形は大和銀行桜通支店宮崎政利名義普通預金口座、同<112>の前記杉原商店宛約束手形は東海銀行東新町支店杉原正利名義普通預金口座、同<113>の前記藤竹商店宛約束手形は協和銀行名古屋駅前支店小西栄蔵名義普通預金口座、同<114>の前記沢井商店宛約束手形は協和銀行名古屋支店松田正已名義普通預金口座へそれぞれ取立入金されていることを認めることができ、右各名義普通預金は、証人原稔の証言によれば前記(一)において認定したと同様の形態による仮名預金であることを認めることができ、原告帰属の仮名普通預金であることが推認できる。

以上の各認定に反する証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果は措信できず、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。

以上の各事実を総合勘案すれば、原告は前記仮名取引を行い、それにより前記支払手形を取得したものと推認できるから、訴外会社の前記各商店宛約束手形(別表一五<111>ないし<114>)は、ウカイ商店即ち原告に帰属するものというべきである。

(四)  原告は訴外勇より割引をうけた手形を買戻す際、同人の勝手な取引による変名受取手形が混入し、それらが右(一)ないし(三)の各手形であるかのごとく主張するが、その方式および趣旨により成立の真正を認めることができる乙第一一七号証、証人鵜飼勇の証言、原告本人尋問の結果を措いて他に手形割引および買戻の事実を認めさせる適切な証拠はなく、右証言等も単に抽象的に訴外勇に手形割引のため譲渡したと述べるだけで具体性を欠くからたやすく措信しがたく、外に割引、買戻の時期、条件、金額等手形割引・買戻に関する具体的事実の主張立証がないから、右主張は採用できない。

以上の次第で、前記(一)ないし(三)のとおり被告主張の仮名商店名義にかかる受取手形はすべて原告に帰属し、各期末にすべて原告の所持していたものである。

2. 原告が訴外鵜飼勇より割引を受け同人に譲渡交付したため各期首・期末には原告の手許になかったと主張する受取手形について

(一)  昭和三〇年期首受取手形(原告否認分計五四通、別表七<39>、<51>、<53>ないし<68>、<70>ないし<73>、<75>ないし<77>、<80>ないし<82>、<84>、<85>、<89>、<90>、<92>ないし<96>、<102>、<106>ないし<108>、<110>、<111>、<114>ないし<116>、<118>ないし<121>、<123>、<124>、<126>、<129>)、同年期末受取手形(原告否認分一一通、別表八<29>、<105>ないし<110>、<117>、<139>、<138>、<192>)については、銀行取立最終裏書人がいずれも仮名(小川良雄、林増雄外四名)であり、右仮名名義の預金口座に取立入金されていること、同三一年期末受取手形(原告否認分計一〇九通、同一五参照)については、原告の住友銀行名古屋支店普通預金、東海銀行古渡支店普通預金(別表二一「昭和三一年期末現在の受取手形の銀行取立状況表」参照)等の口座に取立てがなされていることは当事者間に争がない(なお、被告主張の別表二二「北海道拓殖銀行の預金出入記入表の入金額と丸江伸銅株式会社口座の支払額との照合表」に掲げられた受取手形はすべて本件に無関係か原告において争わないものである。別表八<1>ないし<5>参照。)。

(二)  前記仮名(小川良雄、林増雄外四名)預金口座に取立入金されている各受取手形については、前記四2および六1においてそれぞれ認定したとおり、右各仮名預金が原告に帰属することが明らかであり、また訴外勇への割引譲渡の事実を認めることができないことは、前記1(四)において認定したとおりであるから、右各受取手形は各期首・期末において原告に帰属するものということができる。

(三)  昭和三一年期末受取手形中、前記東海銀行古渡支店原告普通預金口座に取立て入金されている分(前記別表二一参照。別表一五<71>ないし<100>、<104>ないし<109>)については、原告において右受取手形をウカイ商店大阪営業所の各取引先から受取り右口座に取立て入金したことを認めているから、右各受取手形が同期末において原告に帰属すること明らかである。

(四)  昭和三一年期末受取手形中、右(三)において原告に帰属するものと認めたものを除くその余の手形(別表一五<1>ないし<70>、<101>ないし<108>)については、原告は同年中に訴外勇に割引のため譲渡し、その後支払期日前に同人より買戻を受けたというのであるから、原告が右手形の最終裏書人となり、原告名義普通預金に取立て入金されていることは当然である。

(五)  なお、被告は昭和三〇年期首受取手形中、原告が認めている手形(別表七<26>ないし<25>、<44>、<45>)についても、仮名(石田五郎、加藤守一)による銀行取立て分が含まれていた(別表二三参照)と主張し、原告は訴外勇への右各手形の割引、小切手等による同割引手形買戻および同人による同小切手の仮名による取立入金を主張するが、右(四)記載と同様の理由により、割引・買戻の事実は認めることができないから右原告主張は採ることができない。

3. 以上の次第で、仮名商店取引名義にかかる受取手形および原告が訴外鵜飼勇より割引を受け同人に譲渡交付したため各期首、期末には原告の手許になかったと主張する受取手形はすべて原告に帰属し、被告主張の各期首、期末に原告が所持していたものということができる(各受取手形の金額については格別当事者間に争いがない。)。

七、貸付金

成立に争いのない乙第一三〇号証、証人原稔の証言によれば、原告は訴外丸江伸銅株式会社に対し、別表九(二)記載のとおり、昭和二九年六月九日から同月一九日までの間四回にわたり合計五、〇〇〇、〇〇〇円を貸付け、同年九月二〇日から同年一二月四日までの間五回にわたり計二、〇〇〇、〇〇〇円の返済を受けたことを認めることができるので、同三〇年期首における右貸付金残高は三、〇〇〇、〇〇〇円であること明らかである。

八、買掛金

成立に争いのない乙第七六号証、証人原稔の証言によれば、原告の訴外第一物産株式会社名古屋支店に対する昭和三〇年期首買掛金残高は五〇七、六一四円であることを認めることができる。

原告は右訴外会社に対し同二九年一二月一日、当時の原告の買掛金残高一、〇〇七、六一四円につき、五〇〇、〇〇〇円を約束手形により支払い、残額五〇七、六一四円については債権放棄するという特約が成立した旨主張し、右事実に沿う原告本人尋問の結果があるが、右結果は前記証拠に照らし措信しがたく、他に右事実を認めるにたりる適切な証拠はない。却って、前記証拠によれば、右債権放棄は昭和三〇年三月三一日になされたことを認めることができる。

従って、原告の前記買掛金残高(別表九買掛金<2>)は同年期首に存在したものということができる。

なお、原告の訴外丸江伸銅株式会社に対する買掛金(別表九買掛金期首・期末各<1>、同一六買掛金<1>)については当事者間に争がない。

九、預金利子

1. 昭和三〇年分預金利子

(一)  前記四2普通預金について認定したとおり、水谷喜一、山森隆、加藤竜太郎を除く石田五郎外一〇名名義普通預金が原告に帰属すること明らかであるから、右各普通預金の昭和三〇年分利子も原告に帰属することになる。而して右各預金利子の金額については格別当事者間に争がないから、別表一〇記載中<5>、<6>、<8>、<9>、<10>、<13>、<17>、<21>、<23>、<24>、<26>、<36>の石田五郎外一〇名名義預金利子は原告のものである。

(二)  加藤守一名義普通預金は、前記六2(五)において述べたとおり、原告の仮名預金と推認できるから、右普通預金の同年分利子(同表<3>、<4>)も原告に帰属する(金額については格別当事者間に争がない。)。

(三)  木下春雄、横地良三、秋田信一各名義普通預金については、証人原稔の証言によれば、前記六1(一)において認定したと同様の形態による仮名預金であると認めることができ、原告帰属の仮名普通預金であると推認できるから、右各普通預金の同年分利子(同表<25>、<30>、<31>、<87>)も原告に帰属する(金額については格別当事者間に争がない。)。

(四)  前記四3指定金銭信託において認定したとおり、被告主張にかかる本件各指定金銭信託は原告に帰属するものであるところ、右各信託に対する昭和三〇年分収益金(別表一〇<38>ないし<62>)もまた原告に帰属するというべきである。而して、その金額が同表記載のとおりであることは格別当事者間に争がない。

(五)  以上認定したところにより、かつその余の普通預金の存在については当事者間に争ない別表一〇記載預金利子が原告に帰属することは明らかである。

2. 昭和三一年分預金利子

(一)  前記四2普通預金において認定したとおり、秋田勝彦、林田正直、藤田晃、竹田重太郎、山森隆、林重信、加藤竜太郎、山田信夫、吉田一正各名義普通預金が原告に帰属すること明らかであるから、右各普通預金の昭和三一年分利子も原告に帰属することになる。右各預金利子の金額については格別当事者間に争がないから、別表一七記載中<4>、<15>ないし<17>、<22>ないし<24>、<32>、<39>、<42>、<43>、<51>、<52>、<54>、<55>の右秋田勝彦外七名名義預金利子は原告に帰属するものである。

(二)  林増雄名義普通預金は、前記六1(一)において認定したとおり、原告の仮名預金と認めうるから、右普通預金の同年分利子(同表<47>、<48>)も原告に帰属する。金額については格別当事者間に争がない。

(三)  吉川忠男、千田正利、滝田次郎各名義普通預金については、前記六1(二)において認定したとおり原告帰属の仮名普通預金であることが推認でき、また、都築竜之助、住江義久、村田幸秀、安田藤太各名義普通預金については、証人原稔の証言によれば、前記六1(一)において認定した同様の形態による仮名預金であることを認めることができることから同様に原告帰属の仮名普通預金であると推認できるので、右各普通預金の同年分利子(同表<5>、<6>、<11>、<25>、<26>、<33>ないし<36>、<49>、<50>、<56>、<57>)も原告に帰属する。金額については格別当事者間に争がない。

(四)  前記四3指定金銭信託において認定したとおり、被告主張にかかる本件各指定金銭信託は原告帰属のものであるから、右各信託の昭和三一年分収益金もまた原告帰属のものということができる。従って、右各信託利子(別表一七<138>ないし<209>利子金額が同表記載のとおりであることは格別当事者間争ない。)もまた原告に帰属するということができる。

(五)  被告主張の通知預金利子(別表一七<67>ないし<104>、<111>ないし<137>)については、証人松井清の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第七五号証の一ないし六五によれば、右各通知預金利子合計二五五、〇〇〇円の存在は認められるが、右利子が原告に帰属する点につき立証がないから、右通知預金利子を原告のものとする被告主張は是認できない。

(六)  以上認定したところにより、かつその余の普通預金の存在については当事者間争ない別表一七記載中右二五五、〇〇〇円を控除した四、三八二、六一三円の預金利子は昭和三一年期末原告に帰属するものとして除算所得とすべきである。

一〇、在庫たな卸商品

1. たな卸商品の種類等およびその数量の算定

(一)  原告は従来から商品有高帳を備え付けず、過去において実地たな卸を行った記録もないため、帳簿上原告のたな卸資産が確認できなかったこと、従って被告は昭和三三年三月一八日名古屋市中川区笈瀬町の原告宅、同市中区岩井通鵜飼勇宅、同区元田町鵜飼克祐宅、大阪市東成区大今里南之町ウカイ商店大阪出張所、右大阪出張所の商品保管先である京都市丸江伸銅株式会社の以上五ケ所に臨場して検証し右各所に保管されている原告(ウカイ商店)所有の商品(故非鉄金属等)について実地たな卸を行ったことは原告において明らかに争わない。

(二)  証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第一一〇、第一一一号証、同証人の証言によれば、前記元田町鵜飼克祐宅の事務所・倉庫内および土場保管の真中丸棒・銅線屑等の商品につき、名古屋国税局収税官吏が昭和三三年三月一八日ウカイ商店店員阿部武雄の確認のもとに検貫し同日在庫品確認書(乙第一一〇号証)を作成し、翌一九日から同月二七日まで八回にわたり原告立会いのもとに検証・検貫し翌二八日検証てん末書(同一一一号証)を作成したこと、右各検貫の方法は、束・巻・叺入・袋入・缶入等の商品(真中丸棒、黄銅板、真中棒地の一部、真中ダライ粉等)はその個数を数え、一個当りの重量を乗じて(総)重量を算出する(例、前記てん末書別添検証品目録および別表一二、一九在庫品明細書中、真中棒地二五三叺、一五、六八六キログラム)等の方法、いわゆるばらの商品(銅線屑の一部、真中棒地の一部等)は俵等に詰め換える等の方法を採ったことをそれぞれ認めることができる。右認定に反する原告本人尋問の結果は措信できず、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。とすれば、右各検貫の方法は必ずしも綿密正確なものとはいえないまでも、前記各商品の量・性質・存在状況から見て本件においては相当な方法と認められるのであって、原告主張のごとく杜撰なものとは言えない。なお、原告は右阿部および原告の立会い・確認は任意のものではない旨主張するが、これを肯認するにたりる適切な証拠はない。

(三)  証人原稔の証言により真正に成立したものと認めることができる乙第一一二、同第一一三号証、同証人の証言によれば、前記岩井通鵜飼勇宅のコンクリート土間・倉庫内および土場保管の真中六角棒・電気銅板・真中ダライ粉等の商品につき、名古屋国税局収税官吏が昭和三三年三月一八日右鵜飼勇の立会いのもとに実地調査、検貫し同日在庫品現在高確認書(乙第一一三号証)を作成し、翌一九日から同月二一日まで三回にわたり同人立会いのもとに検証・検貫し同二一日検証てん末書(乙第一一二号証)を作成したこと、右各検貫の方法は、真中ダライ粉のうち稍鉄砂混入のもの・稍アルミ混入のもの(いずれも叺入およびばら)については縦・横・高さを計って体積を算出して重量を算定する方法(なお、右以外の商品につき右方法が採られたことを認めさせる証拠はない。)、その他については元田町の場合と同様に、叺入・輪状のもの等の商品(下古銅、真中削屑、下込真中、銅線屑の一部等)はその個数を数え、一個当りの重量を乗じて(総)重量を算出する等の方法、いわゆるばらの商品(電気銅板、銅線屑の一部等)は俵等に詰め換える等の方法を採ったことをそれぞれ認めることができる。右認定に反する原告本人尋問の結果は措信できず、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。とすれば、右各検貫の方法は必ずしも綿密なものとはいえないまでも、前記真中ダライ粉の体積を算出する方法については、叺入のものがばらのものを囲んで箱状になっている(前記検証てん末書添付検証現場在庫品収容図参照)状態においては止むをえない方法と考えられるし、他の方法についても、本件においてはやむをえない相当な方法ということができるから、原告主張のごとく無責任・杜撰なものということはできない。なお、原告は右鵜飼勇の立会い確認は任意のものではない旨主張するが、これを肯認するにたりる適切な証拠はない。

(四)  前記笈瀬町原告宅保管の商品については、名古屋国税局収税官吏が昭和三三年三月一八日原告の確認のもとに大体の目見当による確認方法に基づき同日在庫品現在高確認書(乙第一一四号証)を作成したこと、前記ウカイ商店大阪出張所保管の商品については、同じく同収税官吏が同日右出張所従業員富田音吉の立会のもとに実地調査により確認し同日在庫品現在高確認書(乙第一一五号証)を作成したことはそれぞれ当事者間に争がない。

(五)  前記丸江伸銅株式会社保管の商品については、同じく同収税官吏が同日右訴外会社営業部長佐々木貞治の確認のもとに実地調査により確認し同日在庫品現在高確認書(乙第一一六号証)を作成したことはそれぞれ当事者間に争がない。

(六)  以上認定したとおり、各検証てん末書、各在庫品現在高確認書は適正妥当なものであるから、これらをもとにして作成された昭和三三年三月一八日現在のたな卸商品の種類および数量についての実地たな卸商品評価調書(甲第一四号証)は適正妥当なものということができる。

(七)  原告は過去において実地たな卸を行ったことがなく、在庫たな卸商品の数量算定が可能となる程度の商品有高帳・仕入帳の備え付けがないため、前記たな卸を行った昭和三三年三月一八日現在の有高から受払いをして遡って各係争年分期首・期末の種類ごとの数量を算定することが不可能であったので、前同日現在の実地たな卸商品評価調書に基づきたな卸商品有高を認定した(別表一二・一九在庫品明細書参照)ことは原告の明らかに争わないところである。

その方式および趣旨により成立の真正を認めることができる乙第九七、同第一〇七、同第一一七、同第一一八号証、証人原稔の証言によれば、前記鵜飼勇宅倉庫等、同鵜飼克祐宅倉庫等所管の在庫商品の昭和三三年三月前記実地たな卸時の数量・品種は各係争年期首・期末の数量、品種とほぼ同程度であったこと、その他の前記各所の在庫品の数量等は常時同程度に保つことが原告の営業方針であったことをそれぞれ認めることができる。

従って原告(ウカイ商店)所有の係争各年期首・期末現在における在庫たな卸商品の種類・形状および数量等は、前記実地たな卸商品評価調書記載の種類等およびその数量と同一であると認定したのは相当である。

ところで、原告は前記勇方倉庫内保管にかかる別表二四記載の特号および一号銅線および前記丸江伸銅株式会社保管にかかる同表記載の電気銅は、昭和三二年中に大阪の沢貞金属株式会社から仕入れたもので、各係争年には存在しないというけれども、昭和三〇年、同三一年期首期末において、同三二年に仕入れた右品種が存在しないことは当然であり、同三三年三月一八日存在した商品と種類、数量等において同量の商品が右各期首期末に存在したとする前記認定の妨げになるものでない。

2. たな卸商品の評価

(一)  旧所得税法一〇条の二、同法施行規則(昭和三六年政令第六二号による改正前)一二条の九、同条の一〇によれば、その年一二月三一日において有するたな卸資産で個々の原価の算定しがたいものの同日における価額の評価方法は、たな卸資産をその種類、品質、型等(以下、種類等という。)の異なるごとに区別しその種類等の同じものについて一般の原価法とよばれる先入先出法・後入先出法・総平均法・移動平均法・単純平均法・売価還元法・最終仕入原価法のいずれかによることとされ、これらの評価方法の選定、届出については確定申告書または損失申告書の提出期限までにそのよるべき方法を選定し納税地の所轄税務署長に届出ることとされているのであるが、届出をしなかった場合においては当該個人がよるべきたな卸資産の評価方法は売価還元法によることと規定されている。本件においてはたな卸資産の個々の原価が算定しがたいこと、たな卸資産の評価方法についてあらかじめ如何なる方法によるべきかについて所轄税務署長に対し届出がなされていないことは格別当事者間に争いがないから、右規定により右売価還元法によるべきこととなる。

ところで右売価量元法による場合には、差益率算定の基礎となる各商品の種類・品質ごと仕入価格および販売予定価格を確定する必要があるが、本件のごとく原告の帳簿類記帳等が不備で右各価格の把握が不可能な場合、同業者の記録等により右各価格を推計計算せざるをえないが、かかる方法を採るならば推計に推計を重ねることになり、算出される取得価格はいきおい不正確なものとならざるをえない。従って、商品等の種類が多いという事情もあり課税技術上極めて困難なことが予想される本件においては、より簡便な時価法(前記施行規則一〇条の九第二項一号)により評価することもやむをえないところである。

原告は右時価法によるときは、商品相場の高騰による架空利益ないし評価益が混入するから同法は評価方法として不当であると主張するが、時価法は期間損益計算の見地からは合理性をもたないともいえるが、慣行的評価方法の一つとして会計学的にも確立されているもので、右評価益等が生じうるとしても同法を継続的に採用すれば右結果が平均化されるものであり、また同一商品が長期間に亘り在庫として眠る場合は格別、期間中つぎつぎと仕入販売が繰り返され当該期末に商品が在庫したとする本件においては、相場の騰貴によって生ずる名目上の評価益が算入されることもやむをえないことである。従って時価法により、たな卸商品が評価されたとしても必ずしも不当とはいえない。

また、評価額のない商品については、前記認定のとおり価額がわからなかったため評価額がないのであるから、このことから直ちに原告主張のごとく、前記実地たな卸商品評価調書そのものが信用できないとはいえない。

成立に争のない甲第一四号証(前記実地たな卸商品評価調書)、第一八号証、第一九号証、証人原稔の証言によれば、被告主張の右評価調査に基づく本件各たな卸商品の評価額すなわち時価は業界新聞、業者の意見等に基づいて客観的に専門家が調査確定した昭和二九年ないし三一年各期末における仲間業者の取得価額によったことが認められるが、かかる評価は時価法による評価として概ね妥当であるということができるから、被告主張の昭和三〇年期首・期末、同三一年期末の各たな卸商品の評価額(別表一二・一九在庫品明細書の各単価欄記載の額)は適正なものとして是認できる(なお、取得価額不明の商品は空欄。)。

従って右各期首・期末における各たな卸商品の差引総重量に各単価を乗じて算出した同期首期末の各たな卸評価額は別表一二・一九在庫品明細書の各金額欄記載の額のとおり適正なものとして是認できる。

一一、以上検討したところに従ってなした原告の各係争年の資産負債増減計算の結果は昭和三〇年度事業所得については別表一記載のとおり九二、三八一、六三四円となり、同三一年事業所得額については次表掲記のとおり三一、六七五、七〇七円となる。

従って、被告のなした本件各再更正処分は、昭和三〇年分事業所得額については、右認定の範囲内であって適法であるが、裁決により一部取消後の昭和三一年分事業所得額については、右認定にかかる三一、六七五、七〇七円を超える部分につき違法であるからその部分を取消すべきである。

昭和三一年分資産負債増減計算

<省略>

一二、被告名古屋市中川区長の本案前の主張について

成立に争のない甲第七号証、乙第二号証の一、二(以上昭和四二年(行ウ)第五七号事件提出)および弁論の全趣旨によれば、請求原因三12記載の賦課処分について、原告は昭和三三年七月二八日、被告名古屋市中川区長に対し異議の申立をしたところ、被告中川区長は同年八月一日、右異議申立書に対し、「‥‥地方税法三二一条の二の規定に基づいて徴税令書を発布しましたので違法又は錯誤によるものでないことを回答」する旨の文書を発し、原告はそのころ右文書の送付をうけたこと、および請求原因三34記載の賦課処分について、原告は同四〇年二月八日ころ右処分を知ったことをそれぞれ認めることができる。而して右回答書は前記記載の趣旨より、原告のなした異議申立を明らかに棄却する裁決とみることができる。

ところで、当時施行の行政事件訴訟特例法(昭和二三年七月一日法八一号、同三七年一〇月一日廃止)五条四項によれば、同条一項(処分のあったことを知った日から六箇月)、同条三項(処分の日から一箇年)の各出訴期間は、処分につき訴願の裁決を経た場合には、訴願の裁決のあったことを知った日又は訴願の裁決の日から起算する旨規定されているところ、前記認定のとおり、請求原因三12記載の賦課処分についての異議申立は同三三年八月一日棄却され、かつ、右処分取消の訴が同四二年九月二二日提起されたことは記録上明らかであるから、右訴は訴願の裁決のあったことを知った日から三か月を経過した後に提起された不適法な訴である。

また、前記請求三34記載の賦課処分については、異議申立等の訴願裁決を経たことについて何等主張立証のない本件においては、右処分の取消を求める原告の本件訴は前記認定の右処分を知った同四〇年二月八日ころから六か月を経過した後に提起されたものとして同じく不適法である。

従って、右各賦課処分の取消の訴は不適法として却下を免れない。

一三、以上の次第で、被告中川税務署長に対し、本件各更正処分の取消を求める原告の本訴請求は、前記一一の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、被告名古屋市中川区長に対し本件各賦課処分の取消を求める訴は却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田義光 裁判官鏑木重明、同樋口直は転補につき署名捺印できない。裁判長裁判官 山田義光)

別表一 資産負債増減計算表(昭和三〇年分)

<省略>

<省略>

別表二 資産負債増減計算表(昭和三一年分)

<省略>

<省略>

別表三 期首預金の内訳

<省略>

<省略>

別表四 期末預金の内訳

A 普通預金

<省略>

<省略>

B 通知預金

<省略>

C 指定金銭信託

<省略>

<省略>

別表五 期首売掛金

<省略>

別表六 期末売掛金

<省略>

別表七 期首受取手形

<省略>

別表八 期末受取手形

<省略>

別表九

(一) 有価証券

1 有価証券の期首二〇〇、〇〇〇円の内訳は次のとおりである。

<省略>

2 有価証券の期末二〇〇、〇〇〇円の内訳は前記1の期首と同じである。

(二) 貸付金

<省略>

(三) 買掛金

1 期首の七三三、七六〇円の内訳は次のとおりである。

<省略>

2 期末の六、五五二円の内訳は次のとおりである。

<省略>

別表一〇 預金利子

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

別表一一

(一) 配当金

<省略>

(二) 家計費

<省略>

(三) 否認公租公課

<省略>

別表一二 在庫品明細書 期首(昭和30年1月1日現在)

<1> 名古屋市中区元田町3丁目26番地に保管分

((注)単価は1,000kg当りである。)

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<2> 名古屋市中区岩井通25 鵜飼勇宅保管分

<省略>

<省略>

<省略>

<3> 大阪市東成区大今里南之町3丁目6 鵜飼憲一宅保管分

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<4> 京都市南区西九条院町21 丸江伸銅株式会社に保管分

<省略>

<5> 名古屋市中川区笈瀬町2の13 鵜飼明宅保管分

<省略>

合計

<省略>

以下余白

在庫品明細書 期末(昭和30年12月31日現在)

<1> 名古屋市中区元田町3丁目26番地に保管分

((注)単価は1,000kg当りである。)

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<2> 名古屋市中区岩井通25 鵜飼勇宅保管分

<省略>

<省略>

<省略>

<3> 大阪市東成区大今里南之町3丁目6 鵜飼憲一宅保管分

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<4> 京都市南区西九条院町21 丸江伸銅株式会社に保管分

<省略>

<5> 名古屋市中川区笈瀬町2の13 鵜飼明宅保管分

<省略>

合計

<省略>

以下余白

別表一三 預金

1. 普通預金

<省略>

2. 通知預金

<省略>

<省略>

3. 定期預金

<省略>

4. 指定金銭信託

<省略>

(注) 「解約年月日」欄に記載のないものは昭和三三年三月二五日現在においても解約されていないものであつて、昭和三一年一二月三一日現在存在していたものである。

別表一四 売掛金

<省略>

別表一五 受取手形

<省略>

別表一六

(一) 有価証券

<省略>

(二) 買掛金

<省略>

別表一七 預金利子

<省略>

別表一八

(一) 配当金

<省略>

(二) 否認公租公課

<省略>

<省略>

(三) 家計費

<省略>

別表一九 在庫品明細書(昭和31年12月31日現在)

<1> 名古屋市中区元田町3丁目26番地に保管分

((注)単価は1,000kg当りである。)

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<2> 名古屋市中区岩井通25 鵜飼勇宅保管分

<省略>

<省略>

<省略>

<3> 大阪市東成区大今里南之町3丁目6 鵜飼憲一宅保管分

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<4> 京都市南区西九条院町21 丸江伸銅株式会社に保管分

<省略>

<5> 名古屋市中川区笈瀬町2の13 鵜飼明宅保管分

<省略>

合計

<省略>

別表二〇 仮名商店一覧表

<省略>

<省略>

別表二一 昭和三一年期末現在の受取手形の銀行取立状況表

<省略>

<省略>

<省略>

別表二二 北海道拓殖銀行の預金出入記入表の入金額と丸江伸銅株式会社口座の支払額との照合表

<省略>

<省略>

<省略>

別表二三 受取手形等の取立経路分解図

<省略>

(注) <1> 売掛金等は丸江伸銅(株)が原告に対して有する債権である。

<2> 左端の手形に付した番号は被告第三準備書面30年期首受取手形明細に付した番号である。

別表二四 昭和33年3月18日現在 京都市丸江伸銅株式会社保管分

目録

<省略>

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